ジン(ファンジン)

印刷現場が紙やインキや完成形の出来具合ばかり見ているかと云うとそうでも無く、内容もしっかり見ながら仕事もしているのです。役所の報告書などと云うお堅いものは、あまり内容に興味も湧きませんが、趣味性の強いファンジン等は、その内容の思い入れの強さからついつい気になります。仕事を忘れて読み続ける事などもあります。少部数のZINEは無くなりませんね。前に比べると増えている感じがします。500部以下位の数の繋がりが丁度、顔が見えて、感覚が共有できて、同好の士が集まりやすい数なのでありましょう。具体的に紙の書物になる事でサークルのアイコンになり、聖典になって行くのだと思います。とするとジンは結社ですね。聖書や仏典と同じです。コミケの同人誌と俳句、短歌の結社も同じです。結びつけているのは人です。俳句や同好会のテーマは結ぶための道具にすぎません。ネットで人の結びつきが弱くなればなるほど、ジンは強くなるのでしょう。必要であるのです。必要は趣味を越えます。

損得を越えて繋がりを深めます。ジンの隆盛はその辺にあるように見受けられるのです。勿論内容が深く精緻であればあるほどアイコンは強い物になって行きます。ジンはコミュニケーションツールなのですね。想いを紙にデザインしてジンに語らせる。その思いは、フィールドを越え、時間を越え、見ず知らずの他人を繋いで行きます。ジンカルチャーを支える人たちは、商業主義を嫌いSNSに満足せず、デジタルなものに距離を置く人々ですが、それは今まさに、各地で起こり始めている事にシンクロします。ネットとデジタルの20年。今やっと、原点回帰の流れが出来始めている気がします。人に心と身体が有る限り本は死なない、ジンは亡くならない。