※送料込みの価格になります
※発送は原則、日本郵便のクリックポストを使用します
.
[著者]
大畑陽子
大畑陽子 Ohata Yoko / Photographer (o-hatayo-ko.com)
デザイン:神保雄大
.
[サイズ]:W180×H200mm
[頁数]:94頁
[製本/加工]:PUR製本、ガンダレ表紙/表紙マット黒箔押し+デボス加工
詳しい印刷・製本仕様はこちら→
Nana|PRINT BINDING|株式会社イニュニック (inuuniq.co.jp)
近所に住む17歳年下の女の子を17年撮り続けた。まだ幼稚園にも行っていなかったナナちゃんはもう二十歳をすぎ、綺麗な女性となったが、成年した彼女に私は魅力を感じなくなっていった。
私はなぜ彼女を撮り続けたのだろう、そこには自身の幼少期に生きられなかった「少女」という存在への憧れと、賞賛があった。
.
.
<写真集「Nana」あとがきより>
荒川と市野川に囲まれ田園風景が広がる埼玉の田舎町で、私とナナちゃんは育った。おばあちゃん同士の仲が良く、ナナちゃんはおばあちゃんにくっついてよく家に来ていた。その姿が愛らしくて、大学の写真部だった私は彼女を撮り始めた。
ナナちゃんはそのうち私に撮られることが当たり前になり、カメラを向けてもピースも愛想笑いもせず、そのままを撮らせてくれるようになっていった。ナナちゃんのおばあちゃんは、「お前は子供なんだから子供と遊べ」と言ったけど、ナナちゃんは「お姉ちゃんは友達なの!」と譲らなかったそう。私たちは17歳差のお友達になった。
大学を卒業して私は一人暮らしをはじめ、撮影スタジオで働きながらよく実家に帰っていた。帰ったよ、とナナちゃんの家に電話すると彼女は風のように飛んでくる。自転車は常に立ち漕ぎだったので、私の父は風の子ナナちゃんと呼んでいた。
.
当然ながら彼女はどんどん成長していく。ある日カメラを向けると変顔をされたことに大変ショックを受けた。いつか写真を撮られることが恥ずかしくなる日がくるだろうなとは思ってはいたけれど、私はナナちゃんに遠慮してカメラを向けられなくなっていった。
成長に合わせて私たちの距離も広がり、久しぶりに会ったナナちゃんはにかんで笑い、敬語を使うようになっていた。だんだんと疎遠になっていったけれど、心のどこかで私はずっとナナちゃんを撮りたかった。
.
ナナちゃんが高校三年生の冬、私は勇気を出して撮らせてほしいとお願いに行った。嫌がられるのではと思ったけどナナちゃんは 撮ってください、と言ってくれた。いつも遊んでいた田んぼで、集会所で、写真を撮った。ナナちゃんがあまりに綺麗で、私は今まで撮らせてもらわなかったことを猛烈に後悔したし、17歳の女の子の儚さにくらくらした。
成人式までは撮ろうと決めて、それからは定期的に撮らせてもらうようになった。ナナちゃんの写真を撮ることは、自分の「少女」への憧れみたいなものを確信させるものでもあった。高校生を過ぎたナナちゃんは みるみると「女性」になっていき、それは私の憧れていたものとは少しずつ違っていった。
.
私がなぜ少女に憧れるのか、単純にそれは自分になかったからだ。小さいころから髪を伸ばしたことがなく、大学生になるまでショートカットだった。高校生時代はベリーショート、女子校では女の子にモテた。きっかけになったひとつの思い出がある。小学生のころ、同じクラスのポニーテールの子を指差して友達が「あの子、わざと髪揺らして歩いてるんだよ」と私に言った。髪の短かった私は長い髪を揺らすことが女としてのアピールになるなんて考えたこともなかったけれど、それからは後ろ指をさされる気がしてやってみたくてもできなかった。男の子っぽく生きることが私らしさなのだと思っていた。やっと髪を伸ばせたのは成人式を言いわけにできた二十歳前だった。
.
でもやっとわかった。私だって本当は、女の子、したかったのだ。女の子、として生きたかった。女子高生をしたかった。そうだったみたい。私は自分が生きられなかった「少女」という幻想に憧れを抱いていたのだ。
.
でもここまで生きた今だから思う。
本人は気づいていなくとも、その時は気づけなくても、あの時代を生きている女の子たちはみんな綺麗だ。
わたしもきっと 綺麗だった。わたしにもあったのだ、美しくて儚くて繊細で朧げな「少女」だった時代が。
.
一本の映画のような写真集が作りたいと思った。
昔の写真と今の写真を並べてみて、私の写真は何も変わっていなかったし、これが私なのだと、やっと肯定することができた。
私は今たぶん、自分のことも自分の写真も信じることができている。わたしも、写真も、わたしはもっと 私でいい。
.
2022.11.07 大畑陽子