東北食べる通信 菜種油
2020 年 12 月 24 日 木曜日菜種油には思い入れがあります。母の実家は江戸時代から続く商家で
した。荒城の月の岡城に色々なモノを納めていました。昭和の時代は
主に燃料関係を取り扱っていました。戦争が終わって燃料は石油に大
きく変わり始めたのでした。都会からの情報では「これからは油の時
代じゃぁ」と云う事でした。「ホウげな、次は油かぇ!」善は急げで
すばい。外国から油絞り機を何台も買って菜種油工場を立ち上げたの
でした。大分県竹田は日本で下から2番目に貧乏な村と云う事になっ
ています。一番下は知らないのですが。それで兎に角菜種を仕入れて
ドンドン油を創る訳ですがちっとも売れない訳です。油は油でも石の
油ですからね。この時の投資の失敗が実家が没落していく奔りになっ
て行くのでした。食べる通信を読むと大戦後油脂不足で菜種油工場が
乱立すると云う記事がある。我が家で自嘲気味に語られ続けた笑い話
が強ち、単純な間抜け話では無かった事に胸をなで下ろしております。
食べる通信、応援で書いたけどあまり応援になっていないですね。
縁起でもない。菜種油だけは捨てるほどあったので我が家にも沢山送
って呉れました。懐かしい香りです。