異聞風土記 1975-2017 ユン・ウンデ
2020 年 8 月 28 日 金曜日在日3世の韓国籍、神戸生まれ。ハッピーロード大山、荻窪、池袋、福岡、
同じような土地を歩いて来てる人と云うのは、読み始めてから気が付くの
ですが、性格や考え方もとても似ている。韓国名を名乗る以上この国の道
程は異聞風土記にならざるを得ない。観察者の様な性格と云うのは悲しき
必然であり、他に選びようのない防衛であるように思います。異端者と云
う烙印はそう云うモノです。懐かしき同胞と云う気持ちで手に取りました。
私の異聞風土記。8才から18歳まで住んだ兵庫県相生では、私は朝鮮人
と思われていました。引っ越ししてすぐにその様な処遇が始まりましたが
それはこの地域特有の排他性なのか?どの様な理由で叩かれるのか判らな
かった。ずっと友達も出来なかった。強くなる為に通い始めた柔道場では
他校の生徒と友達になります。しかし後から知ったのは皆在日の韓国人、
朝鮮人の子供達でした。高校の時に通っていた空手道場でも朝鮮高校に通
う悪童達が私の事を「兄やん、兄やん」と云うのです。それでも私は、自
分がどう思われているのか判りませんでした。心に蓋をしていたのでまと
もな理解力も無かった。何と無く判ったのは大人になってからですね。
事業に失敗して、長女(姉)を詰らぬ風邪で死なせても父はただ、ただ
落ちて行く道を進んでいた。母の着物を質屋に入れてしけた金を握って
宮島競艇に通い詰めていた。ある日入ったホルモン屋で昔の部隊の戦友と
会いまみえます。朝鮮の人でした。その人が相生の港の屋台の仕事を紹介
してくれます。商いをする権利でした。だから当然両方から朝鮮人と云う
お墨付きを頂く事になったのですね。ユン・ウンデさんも武術を嗜む。バ
ランスを常に気をつけながらしっかりモノを視る。その性格が良い仕事に
結びついていますね。異聞風土記にしてしまうのはその様な観察の立場で
す。これはとても面白かった1日で読んでしまいました。