猛暑
2013 年 7 月 10 日 水曜日徒歩通勤はつらい暑さになってきました。
朝の7時半で35度だそうです。
男子日傘はありだなと思います。
携行扇風機もあって良い。
自転車復活です。スピードを上げると体は熱いけど
風は気持ちいいです。
昨日、夜帰宅途中、ヤマダ電機の前に大きなウルトラマンが
おりました。今日7月10日は、ウルトラマンの日だそうです。
しかし、ウルトラマンも暑苦しい。
徒歩通勤はつらい暑さになってきました。
朝の7時半で35度だそうです。
男子日傘はありだなと思います。
携行扇風機もあって良い。
自転車復活です。スピードを上げると体は熱いけど
風は気持ちいいです。
昨日、夜帰宅途中、ヤマダ電機の前に大きなウルトラマンが
おりました。今日7月10日は、ウルトラマンの日だそうです。
しかし、ウルトラマンも暑苦しい。
「東北食べる通信」 史上初 「食べる情報誌」 創刊。
特集記事と毎月一点の特集食材がセットで宅配されます。
生産者と消費者がダイレクトに繋がります。
ネットと物流が大きく消費の変動を促しているのは、すでにだいぶ前から
始まっていたことですが、ネット強者が必ずしも生産強者で有ったかどうか。
生産に打ち込む時間というのは、ネットとは流れが違います。
食物を作る時間というのは正味の時間。大地に根差した確かな時間。
一方、私たち消費者もモノを食べるということはこの身体の細胞の
一つ一つを確かなもので形作っていくという事。その作ると食べるの関係が
見ず知らずでは、味気ない、情けない。私たちのこの国の食のサイクルを
リサイクルすることで、もう一度生き生きとした国を東北を蘇らせることが
出来るという高橋さんの意見に全面的に賛成です。
日本の再生は第一次産業から。地の利、時の利は、人の利でありましょう。
東北食べる通信 http://www.taberu.me (制作中)
年取ると時間がもったいないと思うのか、一日の始まりが
待ち遠しくて、夜も明けきらぬうちからまんじりともしないで
東の空を睨み付けているのかというとそんなことも無くて
ただ酒が弱くなって、10時前にはもうすってんころりで
早くに休むと早くに目覚めているだけなのです。
東中野ポレポレ「台湾アイデンティティー」熊野町に居た
ときは隣が台湾のお寺臨済宗の東京仏光山寺さんがあった
ので、東京中から集まる台湾の方々とずっと触れ合って参り
ました。台湾の方は皆さん明るく朗らかなのですが、他の国の
人たちと比べると親しみやすいのは、私たちに対して心が開かれ
ているように思います。1991年に両親と4人で台湾旅行に行った時も
台北でも若い方々に気安く声を掛けられ行く先々で親切にして
もらいました。今回この映画を見て理由が判りました。台湾は、
昔日本にしようとした土地であり、日本人になろうとした人々だった
のです。一般に中国語を喋るので大陸との関係が深いように考え
ていたのですが、もともとは、アミ族や高砂族の南方系の部族が
住んでいたところ。まず福建省の人たちが1800年を過ぎてから
まず第一陣として移り住んできました。次に日本軍が進出して
きて日本統治下になりそれは50年続きます。次に敗戦により
日本軍が去った後、国民党を率いる蒋介石が大陸の政争に敗れ
台湾に逃げてきます。そして国民党政権が長く言論統制と弾圧と
粛清で民主主義を封じてきました。民主的な政権になったのは
1992年と云いますから、まだ20年です。あまりにも国民党が
ひどかったので、昔の日本の方が良かったという思いがあるのかも
知れません。でもこれは、戦後日本では大ぴらに語れないお話。
大東亜共栄圏とか五族協和の理念のもとにあの戦争を遂行した
考えが基本にあったので、日本の統治が良かったなどという意見は
云ってはいけない事。それはあの戦争を美化することになります。
私は、かって日本人だったというそれぞれの台湾の人たちの言葉を
聞きながら、私たち日本人のアイデンティティーを考えていました。
このような言い方で土台をすり替えるのはとても危険で難しい話です。
でもこれは台湾と云いながら日本の話なのだろうと思いました。
酒井監督は理念や歴史がアイデンティティーではないといいます。
一人一人生きてきた時間の積み重ねがそれぞれのアイデンティティーであり、
そのようなものの総和がもし纏める様なものだとしたらそれが国の
アイデンティティーなんだと云っているように思います。でも国にアイデン
ティティーいるのでしょうか?我々民族はこうだという云い方はとても危ない。
私たちの同朋が大好きなんだら、黙って困った人たち弱い人たちを助けて
あげたらええことで、それがほんとの国士と云うもんだろうと思います。
とてもタイムリーな作品です。
監督の酒井さん
夕立の後の虹(ダブル)
野坂昭如さんが歌っていた「マリリンモンロー・ノー・リターン」を
小学生のころ、私は間違えて「マリリンモンロー・ノータリーン」と
謳っていました。子どもというのは、なんでも物事を自分の都合の
いいように、又はお好みでインプットします。10年以上前に友人
家族の集まりでグーグルの話をしていたとき、あまり熱心に話す姿に
何を感じたのか子供たちに呼び出されて「よお、グルグルって何なんだ
よう」と難詰されたことがありました。内心、生意気な口利いててもやはり
頭は子供なんだなと思ったものです。
朝、野坂さんの特集の本を読んでたらつらつらそんな事を思い出しており
ました。思春期に一番夢中になったのが、野坂昭如。ニヒリズムや死生観
などとてもしっくりくる、そこから私は一気に無頼派に傾いて行ったように
思います。この方とは、いろんな共通点があります。誕生日が10月10日で
一緒。神戸で暮らしたことがあったり、北九州で暮らしたことがあったり、
そして今は、年に何回かラーメンを食べに行く、永福町に暮らしていること。
戦争のことや飢えのことなどいろいろありますが、圧倒的に影響を受けたのが
やはりその語り口です。影響を受けたというより再認識させられた。基本的に
講談の語り口ではないかと思います。うちの祖母が噺の面白い人でした。
祖母は3歳で両親を亡くし、親戚に引き取られ小さいころから家事の手伝いを
しながら育った人でした。そこのおかみさんが文盲の人で小さなころから、
講談本を朗読させられていたようで、毎晩毎晩読み続けているうちに講談師の
様な語り口を覚えてしまった様で、おかげで我が親族はみんな、話が面白い。
普通の客観的な事実だけを喋る人は誰もいない。一応、話の流れを考えながら
どこかに笑いと泣きを入れなければ気が済まない。野坂さんの発想や文章も
そのような独特な調子を感じさせるけど、でも基本日本の演芸を基調としたもの
ではないかと思います。だから、のりが良い。
マリリンモンローは、とても聡明な女性でありました。
謹んでバカ小学生の私の行いをあまりにも遅い謝罪ではありますが、ここに
お詫びする次第でございます。