台湾アイデンティティー

2013 年 7 月 8 日 月曜日

年取ると時間がもったいないと思うのか、一日の始まりが

待ち遠しくて、夜も明けきらぬうちからまんじりともしないで

東の空を睨み付けているのかというとそんなことも無くて

ただ酒が弱くなって、10時前にはもうすってんころりで

早くに休むと早くに目覚めているだけなのです。

東中野ポレポレ「台湾アイデンティティー」熊野町に居た

ときは隣が台湾のお寺臨済宗の東京仏光山寺さんがあった

ので、東京中から集まる台湾の方々とずっと触れ合って参り

ました。台湾の方は皆さん明るく朗らかなのですが、他の国の

人たちと比べると親しみやすいのは、私たちに対して心が開かれ

ているように思います。1991年に両親と4人で台湾旅行に行った時も

台北でも若い方々に気安く声を掛けられ行く先々で親切にして

もらいました。今回この映画を見て理由が判りました。台湾は、

昔日本にしようとした土地であり、日本人になろうとした人々だった

のです。一般に中国語を喋るので大陸との関係が深いように考え

ていたのですが、もともとは、アミ族や高砂族の南方系の部族が

住んでいたところ。まず福建省の人たちが1800年を過ぎてから

まず第一陣として移り住んできました。次に日本軍が進出して

きて日本統治下になりそれは50年続きます。次に敗戦により

日本軍が去った後、国民党を率いる蒋介石が大陸の政争に敗れ

台湾に逃げてきます。そして国民党政権が長く言論統制と弾圧と

粛清で民主主義を封じてきました。民主的な政権になったのは

1992年と云いますから、まだ20年です。あまりにも国民党が

ひどかったので、昔の日本の方が良かったという思いがあるのかも

知れません。でもこれは、戦後日本では大ぴらに語れないお話。

大東亜共栄圏とか五族協和の理念のもとにあの戦争を遂行した

考えが基本にあったので、日本の統治が良かったなどという意見は

云ってはいけない事。それはあの戦争を美化することになります。

私は、かって日本人だったというそれぞれの台湾の人たちの言葉を

聞きながら、私たち日本人のアイデンティティーを考えていました。

このような言い方で土台をすり替えるのはとても危険で難しい話です。

でもこれは台湾と云いながら日本の話なのだろうと思いました。

酒井監督は理念や歴史がアイデンティティーではないといいます。

一人一人生きてきた時間の積み重ねがそれぞれのアイデンティティーであり、

そのようなものの総和がもし纏める様なものだとしたらそれが国の

アイデンティティーなんだと云っているように思います。でも国にアイデン

ティティーいるのでしょうか?我々民族はこうだという云い方はとても危ない。

私たちの同朋が大好きなんだら、黙って困った人たち弱い人たちを助けて

あげたらええことで、それがほんとの国士と云うもんだろうと思います。

とてもタイムリーな作品です。

監督の酒井さん

夕立の後の虹(ダブル)

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