包装紙、加工紙
2013 年 7 月 3 日 水曜日今日のご入稿や問い合わせのほとんどが、包装紙や加工紙、クラフト紙
地券紙だったりしたので少しびっくりしています。去年の秋にブンペルが
出たせいなのでしょうか、包装紙の需要が大きく人気のとても高い用紙
です。クラフト紙はカラーの印刷には向きません。特色1色で十分な
雰囲気が出ます。特色や蛍光色の問い合わせが多く、カラー離れが
少し始まっているなというのは実感です。シナールスペクトラサイバー
レッド、ハマユウ、晒クラフト、エスプリGB等の新しい商品ラインナップと
特練りインキと蛍光色インキなど変わった組み合わせの商品を作って
いきます。昨日、すぐ近所のインキメーカーさん、TOKAさんが新卒の
方を連れて挨拶に来てくれました。配属は調肉部(インキを練り合わせる
ことを調肉と云います。)向こうの現場の人とこっちの現場が合うのは
ほとんどないことです。いいことだなと思いました。北海道から出てきた
新人君は初々しい。研修が終わったらただひたすら顔料や油や乾燥剤を
こね回す作業が始まります。注文したらインキは段ボールに入ってただ運ば
れてくるだけですが、インキに顔がつくと我々も遣り甲斐が出てくる。
TOKAさん業界の中では結構有名な会社です。若いころはファンソンや
TOKAというのは憧れのインキメーカーでした。顔料が多いのか濃くて発色が
良い。蛍光インキはTOKAさんのラインナップで行くと思います。こうご期待。
富士山 続き
2013 年 7 月 2 日 火曜日窓から明るくなりかけた街並みを眺める。
5時になると下町の商店街の方向にある建物の煙突から
大きな煙がもくもくと湧き出します。多分豆腐屋さんが準備を
始めたのだろうと思います。パン屋さんと豆腐屋さんは、朝が
早い。我が家のバルコニーの方でもチュンチュンたくさんの雀の
鳴き声が聞こえます。どこに来ているのか、私には解ります。
あの山椒の木で踊り続けている命です。追い払いに行こうかと
思いますが、せん無いことです。雀たちは知っている。
もうずっと繰り返されていること。朝食の折に山椒の木の鉢の周りを
見やると黒い筋が幾重にも重なり、雀たちの暴虐の名残を記しています。
嘴で樹から引っぺがした幼虫をコンクリートに叩き付けて止めを刺して
啄みます。毎度のこととはいえ、二人で暗い朝食を頂きます。
富士山の麓、富士市の前に広がる駿河湾。ここにもう一つの日本一が
あります。ここは水深2500メートル。たった50キロ隔てたところに日本で
一番高いところと一番深いところがある。この地形の特異性、陰と陽、
日本文化の原点を象徴しているのかも知れません。食物連鎖やそんな
ことをつらつら考えていたら、富士山狂騒曲もこれも一つの在り様のように
思い始めます。軽い装備で行くと死ぬ思いをする。でもそこを潜り抜けると
新たな発見があり、自信につながる。自己責任という言葉が流行ったり、
廃れたりしていますが、富士山は間違いなく自己責任が問われる世界です。
誰もが自分の足で降りてくるほか無い所なのです。富士登山マラソン。
千回登頂。最長寿登頂など囃し立てる声は姦しい。それに乗せられて
行くも良し。準備万端滞りなく挑むも良し。とにかく登ることが祝祭です。
踊り続けるほかない私たちなのです。
8合目の続きはとても凄い展開が続くのですが、傷つく人も出るし、
ここに書いてもしょうがない。
聖も濁も汚もすべて呑込み昇華してくれるのが富士山。
山開き
2013 年 7 月 1 日 月曜日昨日の夕方のスーパーで40Lのザックを担いだ山姿の青年を
見かけて富士山に行ったのだなと確信的に思いました。
コンチキショウです。今朝の新聞でも30日の夜に大数珠つなぎで
登り参ずる信者たちの狂騒曲がはや前日より高らかに鳴り響いて
いる写真が各紙一斉に載っております。山開きは間違いなく7月1日の
今日であったはず。ずるいのではないかと小さな義憤を握りしめる
私なのであります。斯くなるうえはどのように貶めて遣わそう富士山め。
前回、2008年8月25日に登った時にいたコスプレの若者。5合目。
前回の話。友人のかとちゃんがマラソン仲間を富士山に案内したいの
だけど手伝ってくれないかと請われ、カミさんと甥たちを誘って、総勢
30人ぐらいで富士山にアタックすることにしました。
東京を立つときは日も差していましたが、天気予報では崩れ始めると
いう予報が出ていました。5合目についたら小さな霧雨が降っています。
柔軟してカッパを着てさて出発という段になって、中にちらほら100均の
薄手の透明カッパを着ている人がいます。私はムゥとなりましたが、でも
月に何百キロも走っている運動自慢ばかりです。何とかいけるのかな?
と軽く考えての出発でした。昼過ぎに出発してその日の予定は、
8号目までです。むき出しの半ズボンで颯爽と突き進んでいきます。
私は最後尾でゆっくりゆっくり歩き始めました。運動をしなくなって
随分立ち始めていたので、体にガタがき始めている感じも自覚して
いましたが、高所順応も大切なこと。冬山装備でわれわれの準備は
抜かりはありません。マラソングループは、富士登山マラソンも視野に
入れての今回の視察なのかどんどん列は伸びてすっかり置いて
けぼりの私たちでした。上からはジャージの上下だけの高校生たちが
すごく不機嫌そうな蒼い顔で降りてきます。カッパも何もなしの手ぶら。
どこかの運動部がたまたま東名で富士山通りかかって、軽いノリで
「先生富士山登りたい」「おーいいぞ。登ろうか」なんて調子で登り始め
たけど雨と寒さで断念して、慌てて降りてきたような様子です。
気温は高度が高くなれば下がります。100メートル上がるごとに0.6度
下がりますから、3000メートルの地点で18度下がっています。雨に濡れて
風に吹かれたら体が感じる温度はもっと下がります。それでも上に登り
続けていれば暑いですし汗が流れます。でも渋滞で前に進めなくなると
一気に体は冷え始めます。おまけにうちのグループはマラソンの人たちで
体に皮下脂肪がほとんどついていない人たちでした。いろんな条件を
揃えながら、お話は続きます。 カミさんや甥たちといつものばか話を
しながら登っていると、70前ぐらいのおじいさんが倒れていました。
この人もジャージの上下だけでカッパも何も着ていません。しとしと雨は
降り続いています。場所は7合目を過ぎて20分ぐらい上がったところ。
周りを10人ぐらいの元気そうな若者が取り囲んでいます。携帯で何やら
警察や救急に電話しているようです。少し様子を見ていたののですが、
途方に暮れた困った感がしたので、事情を聴くと救助は4時間ぐらい
かかるといいます。体触るととても冷たくなっています。若者たちは
ありったけのホカロンを体に張って温めようとしますが。傘もない予備の
カッパもない雨を防ぐ材料もない状況でしたら、どうにもこうにもならない
状況に陥っています。体が大きな人だったのでおんぶでは難しい。
そこで7合目の小屋まで担架を取りに行ったのです。山小屋の人に
担架のことを云うと、警察から電話が入っていたようで、私に両手を
合わせながら、「申し訳ない。あそこだったら上に上がった方が近いから」
と申したのです。金剛杖に焼印を押す作業が忙しそうだった。
私一人ではどうにもならなかったが、元気な若者たちと一緒だと何とか
なるだろうとおじいさんを担架に縛り付けて上に登り始めました。冷静に
考えれば、7合目に下すのが一番良い選択でしたが、我々全員上に
上がりたかったのと、やはり上に上がった方が近いという山小屋の主の
ことばを真に受けての判断ミスでした。4人で持つとはいえ足場もしっかり
しない、担架を中心にして4人が均等に広がる道幅もない、ましてやそこ
から斜度が急にきつくなる道は、困難を極めました。1時間ぐらいかけて
8合目到着しました。しかしそこで聞かされた言葉は、「なんで、上に
持ってくんだよう。」 と云う罵声でした。 続く。