山開き

2013 年 7 月 1 日 月曜日

昨日の夕方のスーパーで40Lのザックを担いだ山姿の青年を

見かけて富士山に行ったのだなと確信的に思いました。

コンチキショウです。今朝の新聞でも30日の夜に大数珠つなぎで

登り参ずる信者たちの狂騒曲がはや前日より高らかに鳴り響いて

いる写真が各紙一斉に載っております。山開きは間違いなく7月1日の

今日であったはず。ずるいのではないかと小さな義憤を握りしめる

私なのであります。斯くなるうえはどのように貶めて遣わそう富士山め。

前回、2008年8月25日に登った時にいたコスプレの若者。5合目。

前回の話。友人のかとちゃんがマラソン仲間を富士山に案内したいの

だけど手伝ってくれないかと請われ、カミさんと甥たちを誘って、総勢

30人ぐらいで富士山にアタックすることにしました。

東京を立つときは日も差していましたが、天気予報では崩れ始めると

いう予報が出ていました。5合目についたら小さな霧雨が降っています。

柔軟してカッパを着てさて出発という段になって、中にちらほら100均の

薄手の透明カッパを着ている人がいます。私はムゥとなりましたが、でも

月に何百キロも走っている運動自慢ばかりです。何とかいけるのかな?

と軽く考えての出発でした。昼過ぎに出発してその日の予定は、

8号目までです。むき出しの半ズボンで颯爽と突き進んでいきます。

私は最後尾でゆっくりゆっくり歩き始めました。運動をしなくなって

随分立ち始めていたので、体にガタがき始めている感じも自覚して

いましたが、高所順応も大切なこと。冬山装備でわれわれの準備は

抜かりはありません。マラソングループは、富士登山マラソンも視野に

入れての今回の視察なのかどんどん列は伸びてすっかり置いて

けぼりの私たちでした。上からはジャージの上下だけの高校生たちが

すごく不機嫌そうな蒼い顔で降りてきます。カッパも何もなしの手ぶら。

どこかの運動部がたまたま東名で富士山通りかかって、軽いノリで

「先生富士山登りたい」「おーいいぞ。登ろうか」なんて調子で登り始め

たけど雨と寒さで断念して、慌てて降りてきたような様子です。

気温は高度が高くなれば下がります。100メートル上がるごとに0.6度

下がりますから、3000メートルの地点で18度下がっています。雨に濡れて

風に吹かれたら体が感じる温度はもっと下がります。それでも上に登り

続けていれば暑いですし汗が流れます。でも渋滞で前に進めなくなると

一気に体は冷え始めます。おまけにうちのグループはマラソンの人たちで

体に皮下脂肪がほとんどついていない人たちでした。いろんな条件を

揃えながら、お話は続きます。  カミさんや甥たちといつものばか話を

しながら登っていると、70前ぐらいのおじいさんが倒れていました。

この人もジャージの上下だけでカッパも何も着ていません。しとしと雨は

降り続いています。場所は7合目を過ぎて20分ぐらい上がったところ。

周りを10人ぐらいの元気そうな若者が取り囲んでいます。携帯で何やら

警察や救急に電話しているようです。少し様子を見ていたののですが、

途方に暮れた困った感がしたので、事情を聴くと救助は4時間ぐらい

かかるといいます。体触るととても冷たくなっています。若者たちは

ありったけのホカロンを体に張って温めようとしますが。傘もない予備の

カッパもない雨を防ぐ材料もない状況でしたら、どうにもこうにもならない

状況に陥っています。体が大きな人だったのでおんぶでは難しい。

そこで7合目の小屋まで担架を取りに行ったのです。山小屋の人に

担架のことを云うと、警察から電話が入っていたようで、私に両手を

合わせながら、「申し訳ない。あそこだったら上に上がった方が近いから」

と申したのです。金剛杖に焼印を押す作業が忙しそうだった。

私一人ではどうにもならなかったが、元気な若者たちと一緒だと何とか

なるだろうとおじいさんを担架に縛り付けて上に登り始めました。冷静に

考えれば、7合目に下すのが一番良い選択でしたが、我々全員上に

上がりたかったのと、やはり上に上がった方が近いという山小屋の主の

ことばを真に受けての判断ミスでした。4人で持つとはいえ足場もしっかり

しない、担架を中心にして4人が均等に広がる道幅もない、ましてやそこ

から斜度が急にきつくなる道は、困難を極めました。1時間ぐらいかけて

8合目到着しました。しかしそこで聞かされた言葉は、「なんで、上に

持ってくんだよう。」 と云う罵声でした。   続く。

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