70億のファーン

2021 年 4 月 28 日 水曜日

一人ぼっちであっちに行ったり、こっちに来たり、時々誰かと話したり。

私たちの心情そのままだと思います。リーマンショックの2008年の

後でもここまでの共感はなかったと思います。ファーンがのぞいている

淵を同じようにのぞいている70憶人がいるだけ。「2021年が選ん

だこの一本、希望は路上にある」ってなんと云う事を言うんだろう。

70億台の自動車が走り出したらCO2大変なことになります。ノマドラ

ンドはそれほどすごい映画ではありません。私たちの感性が異常なこと

になっている。映画が始まって3分ぐらいで涙が出だして、そんな自分

に心底驚いた。ただ旅が始まっただけなのに。

映画 ハイゼ家 百年

2021 年 4 月 26 日 月曜日

当分映画は観ることが出来ないと思ったので慌てて「ハイゼ家 100年」

を観に行きました。第一次世界大戦から現代までの3代に亘る国家と連動し

た家族の歴史。我々個人の歴史とは生活の細部に宿る一つ一つの物事であ

りその全体像が国家の歴史なんだという切り口は全くその通りと思うので

す。戦後東ベルリンに閉ざされた(閉ざされた?)視点がユニークだなと

思います。歴史に流されるということを生まれて初めて体験しているのが

このコロナ禍でした。80年前のあの時代から逃げきれた人もいない。東

大に入る頭がありながら学習院にあえて行き、徴兵忌避してしまう三島由

紀夫。中学の時代から文学に精通して詩や評論を発表しながら東工大に行く

吉本隆明。彼らはまんまと逃げ果せたのだろうか?宿痾のように胸の奥底に

抱かえ続けたのでは無かったか?時代から逃げることは出来ないのですね。

ここ最近東側物を集中的に観ていますね。これも時代なんだと思うのです。

この映画はいろんな意味ですごく期待してスクリーンの前に座ったのです。

それがですね、それが10分もたたないうちに寝てしまったのです。私だけ

ではない、顔の角度が下気味の人が結構いた。私はなんといっても、好物

が「男はつらいよ」ですからね。あまり難しいアプローチは得意ではない

のです。モノクロの廃墟や森を映しているだけのあまり動かない映像に昔

の家族が受け取った手紙や日記や作文などの朗読が延々と続くだけなので

す。言葉だけでは難しい。まして登場人物の名前が頭に入っていない。

遺品などが映像として出てくるものと思っていました。言葉よりブツです。

ブツは嘘つかないです。言葉は観念的になりすぎる。2時間の休憩で出てし

まった。トーマスハイゼ監督のインタビューなどが予定されていたのに。

プロレタリアートにも解るように創ってくれなくっちゃ。

ノマドランド

2021 年 4 月 23 日 金曜日

寂しい映画でした。しかし美しい映画でした。

人は群れなくては生きて行けない。群れる事を

拒否すると一人ぼっちで世界に対峙しなければ

いけない。すると突然世界はかけがえのないモノに

形を変える。いえ、変わりはしない。それはそこに

そのままに最初から在った。

タフだな思いました。本当にみんなタフ。8才で路上で仕事を

憶え、どんなのが来てもへこたれないと思ってきたけどこれ

だけ長い長期戦は初めて。余りにも沢山のモノを持ちすぎて

しまったのだろうか?こんな奇妙な戦いをやった事も無い。

どんどん借金という財産が盗まれていく。

どっこいしょ

2021 年 4 月 16 日 金曜日

口角炎やかぶれを血の巡りで治せないかと仕事が終わると近くの銭湯で

サウナに毎日の様に入っていたのです。先日2回目の12分を入る為に

30センチの段差を上ろうとしたとき出たのです。「どっこいしょ」

云うつもりはなかったのです。云うつもりが無く云ったら恥ずかしいと

いう認識でいるのに、思わず出てしまうこの言葉。頭に考えてもいない

のに身体を動かすのにこの言葉を唱えないと動かないこの身体。いや~

老人ですね。紛う方なき老人です。身体の筋肉全部脂肪になってしまっ

た。しかしこの「どっこいしょ」ユーモラスでは在りますが切実です。

身体からしぼり出ている。これこそ言霊と云えるのかも知れません。

いま、息をしている言葉で。

2021 年 4 月 16 日 金曜日

光文社「古典新訳文庫」誕生秘話。古典を選んで翻訳者を決めて社長を

説得して実現させた元編集者のお話しです。2000年から2010年

位の時期と云うのがこのシリーズが立ち上がった必然と云う気がします。

かくいう私も数々の古典に跳ね返された一人です。題材に興味が合った

モノは何とか読み徹す事は出来ましたが、これぐらいのモノは読んでお

かなくちゃと手に摂ったモノは、大体数ページで挫折しています。明日

の事では無いと云う唯それだけで読む価値があるのか?と云う言い訳を

読み始めて直ぐに考え始める。実際ストーリーは古臭いのです。人文学

的なモノしても2500年前に孔子も釈迦もソクラテス、そして遅れて

イエスも出て来て基本的な概念は大体その時代に創出されている。後は

時代、時代の言葉で時代に即した物語が紡がれたと云ってしまうとあん

たは歴史そのものを全否定するのか云われそうですが、まあそうとも言

えます。だって最重要な命題がそもそも違うのですから。マリーアント

ワネットが下々の気持ちが判らないのと同じですね。先日読んだ「生活

の発見」の中にAIやスマフォ、ロボット等我々の生活は大きく変わっ

たけど最大の変化は、寿命が1.6・7倍に伸びたと云う事だと書いて

在ったのです。150年前は大体、50歳ぐらいで人は死んでいた。勿

論貧富の差でもっと早く死ぬ幼児が沢山いて裕福で長生きする老人の数

の平均を縮めているという見方もありますけどね。死が身近にある人生

と退屈で1日何をして生きれば良いか判らない人生では、大切なこと自

体がまるっきり違います。大航海時代3か月かけて行っていたヨーロッ

パに12時間で行けてしまう。膨大な時間を掛けなければ調べる事が出

来なかった学術があっという間に判ってしまう。つまり古典新訳文庫と

云うは、インターネットが急速に普及する丁度、2000年から201

0年に咲いたあだ花とも云えます。これ以降はもう、難しいのではない

かなと思います。150年前、50年で出来た事と比べると多分我々は

500年分以上の時間を享楽している。息も言葉も超える明日を我々は

渇望し始める気がします。

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