東北食べる通信 真牡蠣

2018 年 2 月 23 日 金曜日

宮城県南三陸町の真牡蠣。

瀬戸内の相生は造船所もあるけど最近は牡蠣でも有名です。

鰯浜のカキ、坪根のカキ、室津のカキ、室津は龍野かな。

昔は、牡蠣が生臭くて食べられなかった。妹が嫁いだ家が牡蠣屋で

船曳商店と云います。築地ではまあまあ有名みたいです。今は

サムライオイスターと云う名前を付けて売っています。そういう縁故が

ありながら人でなしの兄は、宮城のカキを食べていました。だって

宮城の方が美味いんだもの。だけど震災前位から宮城もいまいちかなと

思い始めていました。それで今度は厚岸のカキ。肉厚で臭みも無い。

それが最近は厚岸も宜しく無いようで相生が再評価されているようです。

瀬戸内海は水の浄化も無いのに何で美味くなっているのか?

宮城のカキはぎゅうぎゅうのいかだの間隔を開けただけで抜群に美味く

なったそうです。厚岸も今は過密状態になってしまったのかもしれません。

地元のカキや北海道のカキに浮気したけどやはり、私は宮城のカキかな?

これ読んでいる瀬戸内の人達の約半分のお怒りを買ったかもしれません。

サムライオイスターは、ある特殊な事を一日、二日、牡蠣に施しています。

これは企業秘密かもしれないんでここでは書きませんが、どうしてもと云う

人がいれば特別にお教えします。

佐賀食べる通信

2018 年 2 月 23 日 金曜日

今月の佐賀食べる通信は、佐賀で育成された「さがほのか」です。

甘みと酸味がバランスよく綺麗な円錐形で香りも良いのが特徴です。

アメリカの鉄砲

2018 年 2 月 23 日 金曜日

アメリカの若者が怒っている、そこらじゅうに溢れ返っている

鉄砲について。アメリカは鉄砲によって国を作ってきたので

鉄砲失くすと国のアイデンティーそのものが崩れ去ってしまう

のかもしれません。だけど人間関係の中に人を殺せる武器が

さりげなく置かれていること自体が人間関係を破たんさせる

ものです。暴力が介在する人間関係なんかあり得ない。

人と人との間にあるのは、友愛であり助け合いであり共存、

その関係が持てる者こそが人間と呼ばれるのです。

この前見た「スリービルボード」のラストシーンの少し前、ショットガンが

ライトバンの後ろのスペースの真ん中にそっと、象徴的に置かれ

たのでした。しっかり意味を持って置かれたシーンでした。

鉄砲造りたい派と鉄砲失くしたい派の双方にとってとても素敵な案が

あります。すべての鉄砲にマイクロチップを埋め込むのです。または、

GPSを取り付ける。マイクロチップの方が簡単でしょう。ある国では

人間の手にマイクロチップ埋め込んでお財布にしたり、税金払ったり

年金貰ったり、免許証にしたりと何でもスーパーコンピューターに接続

して便利なユートピアを計画しているそうです。単純に鉄砲から「ガン

ガン電波」を発信させれば良いだけなので簡単です。ガンガン電波は

何で受信するかと云うと勿論スマホ、携帯です。100メートル以内に

鉄砲が近づくと「ガンガン信号」がなります。当然、2億丁以上ある

アメリカではガンガン信号は鳴りっぱなしです。すると外で持ち歩けなく

なる。ライフル銃業界が反対したら小学生に売ってもいいよと云えば

彼らは強欲なので賛成します。それでも反対したら、スマホの方での案が

あります。鉄砲は人殺しの道具なのでそれを持つという事はそれなりに

身体変化があります。ましてそれを撃とうと考える人間は相当な量の

アドレナリンを放出します。何もしていないのに犬に異常に吼えられる

人がいます。何かのストレスを抱えていてアドレナリンを出しているから

です。だから犬は泥棒の事がすぐ解る訳です。とても気が弱い犬もい

ますが。でこちらは、勿論キャンキャン信号です。アドレナリンを感知

したらさりげなくキャンキャンと鳴ります。人殺しでは無いかもしれません

がトラブルは避けれます。こちらは刃物でも有効ですね。フェロモンの

感知器も便利です。ズバリその人を口説けばいい訳です。ここら辺り

まで書いてしまって、「お前は真面目なのか、ふざけているのかどっち

なんだ!」とお叱りがございましょう。でもね誰でも判る単純な話なん

です。生活の中に人殺しの道具を放置していること自体が狂気です。

肉や魚を食う人は刃物を必要としますが、東南アジアの菜食の人達は

刃物さえ持たないですから。

2月22日 猫の日

2018 年 2 月 22 日 木曜日

今日は猫の日だそうです。にゃん、にゃん、にゃん。

今の猫ブームは凄いですね。ロシアでも猫のペット率が6割と

云うからまた凄い。寒くて家に閉じこもる毎日で可愛くて動きが在って

生き物だ。小学生4年の時に飼っていた猫が僕の布団の中で

赤ちゃんを5匹産みました。お腹からズボンにかけて血だらけで

ひざまずいた足元から猫の赤ちゃんがニャー、ニャー言いながら

這い出してきて、その産んだ本人はとうに居なくなっていて、それこそ

松田優作じゃないけど「なんじゃこりゃ!」なのでした。当時の私は

赤ちゃんを産むという事を全然理解していなくて、この猫の赤ちゃんと

私の身体と云うモノの関係が判らず、血だらけのまたぐらを呆然と覗き込ん

でいたのでした。それ以来猫を飼う事はありませんでした。でもずっと猫は

好きでした。下の写真は、11年前会社で手懐けていた近所の猫「レオ」

私が付けたわけではありません。会社の斜め前の鉄工所で飼われていた。

イニュニックのホームページを作って「イニュ日記」を書いてました。

普通の日記書いてもつまんないので色々と「つくり」を入れていました。

レオは「ネコ道場 礼儀作法武芸全般」の主要登場人物。ネコに礼儀を

教えようと云うモノです。先ず箸を使えるようになる前、手でモノを食べる

ように深い容器を用意して手の訓練を始めました。しかし、手でモノを食う

ようになると、写真でもお判りになるように目つきが悪くなるのです。頭が

良くなると可愛さが消えます。これはこれで新たな問題です。そのうち地域の

ボス猫にケンカ売って返り討ちにあったり、私の手につめを立てて血しぶきを

上げたり、急速に凶暴化するレオにお手上げの状態になりホウホウの体で

工場移転を余儀なくされたのでした。(ネコで逃げたというのはうそです。)

新しいところにも地域猫の「ひげ爺」(私が付けたもの)が居たのですが、

4回ぐらい玄関口にネズミの死骸を投げ込まれ、ネットの怖さを思い知り

それ以降、なるべくネコに係わるのはやめております。まあ今は、私が

書かなくても猫の情報はたくさんあります。小学4年もきつい時期でした。

11年前も親が死んだりしてきつい時期でした。ネコが癒して呉れていた。

それにしても悪ふざけが過ぎるでしょうか?

ぐつぐつ、お鍋

2018 年 2 月 20 日 火曜日

暗い本ばかり読んでいるとほっこりする物も読みたくなる。

いろんな流儀、作法、しきたりのそれぞれの鍋の事が書いて

ありますが基本、底でぐつぐつ言ってるのは、それぞれの

ほっこりです。先に読んでいた家人が小鍋を買おうかと云うて

おりましたのをさりげなくスル―する私なのでした。鍋は一人で

食う物じゃなし、二人でしっぽりするには、お互い下腹が出過ぎ

て居る。小学校の時には家で鍋をする事はありませんでした。

一人ひとり銘々に取り分けられたおかずとごはんを食べるのが

流儀でした。爺さんは軍人でしたし、婆さんは断食などをする

尼さんだったので、食べ物と云うのはあくまで身体を維持活動する

ためのエネルギーに過ぎないという考えの様でした。それが家の

暮らし向きも段々よくなり始めた小学校5年生ぐらいの時、大みそかの

夕餉にすき焼きを生れてはじめて食べたのでした。瀬戸内沿いの

海育ちですので魚は良く食べて居ったのですが肉は殆んど口にする

ことも無かった育ちざかりが、甘いお肉なんですよ。とき卵にそれを

どぶりと漬けてはぐはぐと食うのですよ。それも直接箸で好きなだけ

食べてよいのですよ。何故か知らないが忘我の状態で貪り食う私を

ニヤニヤしながら周りの大人たちは唯見ているだけなのですよ。間違

いなく、私の幸せの瞬間風速はマックスを振り切っていた筈です。

その年から毎年の大晦日にするすき焼きが我が家の鍋に定着して

いったのでした。今もすき焼きは大みそかと特別な日にしか食べま

せん。普通の日に食べてもあまり感動は無かった。当時と比べても

遥かに高い肉であるにも拘らずです。鍋は舌が美味がるだけでは

ない心が喜ぶほっこりが隠し味のようです。

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