函館文学学校 作品2018

2018 年 1 月 29 日 月曜日

「おらおらでひどりいぐも」「百年泥」今年の芥川賞の作家は

二人とも文学学校出身者の方のようです。それで「おらおらで

ひどりいぐも」と云う言葉の出典が宮沢賢治の妹さんの言葉で

直木賞にも繋がっているそうな。病床のとし子が賢治に云うセリフ。

「おらおらでしとりえぐも」永訣の朝は読んでなかったです。

死にゆく朝、「私は私で、一人逝くから」と云う意味。

やもめになったばあさんが、オラオラで行くぜと云う意味合いと

真逆の意味になってきますね。今年はそれぞれ経験を積んだ

しっかりした書き手が選ばれたようですね。どれも読んでいない

ので内容は判りませんが。若い人達へのアピールはもう諦めた

のかな?実際に本買うのは我々熟年者ですからね。

イニュニックでも函館文学学校や小説同人誌など沢山作って

います。函館さんはもうかれこれ10年ぐらいになります。

2018年度版今週から発売予定。

 

 

食べる通信

2018 年 1 月 26 日 金曜日

今年も全国食べる通信宜しくお願いします。食べる通信は

食べながらそのつくり方の背景を学ぶ教科書。

食べ物を作るという事とプログラミング言語の習得が世界で

生き残る為の方法だと思います。

 

 

 

 

製本の設備

2018 年 1 月 17 日 水曜日

昨日は昭島まで製本の機械を見に行って来ました。

イギリスmornagaの上製本機、アメリカc.p.bourgのインライン製本機。

日本のPUR製本機が少々、問題ありという事も段々判ってきて勉強の

ために海外製品も調べています。武骨で頑健だけど時間が遅いという点は

ありますが、それでもバインディングの歴史は随所に煌きを見せてくれます。

上製本表紙貼り機。都内の表紙貼り屋さん、数軒しかいない。

レイフラット製本機。フォトアルバムなどを作るアルバム製本機。

私だけなのか、この10年大量の写真撮っていますが一枚も

紙焼きしていません。ハードディスクが一杯になったらなんとなく

削除しています。過去と現在がずっと繋がっていて気持ち的に

すべてが現在進行形なのです。とめどなく続いている感じ。

一旦切れてくれたら、整理しようと云う気になるんですが。

世界と誰かと過去と未来と今と全てと。蜘蛛の糸の中心に私が

捉えられている。製本機の話のつもりが変なところに来てしまいました。

 

相撲

2018 年 1 月 16 日 火曜日

昨日、危なげではありましたがやっと稀勢の里は勝ちました。

足腰が弱いので常に危なげです。だって自分で立てないんだもの。

相撲は小学校から好きでずっと見ていました。なんといっても曾爺さんが

村相撲に生涯かけて打ち込んで身上を潰した遊びごと、ひ孫の私も全

生涯をかけて見続けなくてはならない宿命です。と大げさなこと言って

ますがほとんど最近は見ていません。時々、稀勢の里をちらりと見る位

です。鳴門部屋の後援者の紹介でずっと新弟子募集のチラシ作って

いました。5年前、中学生向けのパンフレットにあるイラストを描いたら

とても怒られて出入り禁止になりました。関取がサングラスして紫のナイト

ガウンを着てブランディグラスを廻しながらソファーに腰かけてるイラスト。

「神事なんですから!」とおかみさんから説教されました。私からすれば

いまどきの中学生のノリはこんな感じだと思ったのですが。

取材に行った日、朝稽古を見て11時位から稀勢の里、高安関達と

ちゃんこを頂きました。稀勢の里関はとてもひょうきん。チラシに載せる

写真もおどけた顔ばかりで普通の笑い顔を中々してくれないのです。

高安関は穏やかな大きな温かさがにじみ出ているフトコロの深い人と

いう印象でした。良い部屋だったなと云うのが思い出です。

見学に行った日、高安関と高の山関がぶつかりげいこをしていました。

両者とも頭でぶつかって行くのですが、意地の張り合いなのか延々と

頭と頭がぶつかり合う、「ガツン、ガツン」が続きました。練習でここまで

やっているとは思いませんでした。

相撲はスポーツでしょうか?国技なんでしょうか?神事なんでしょうか?

私は、それらをすべて含んだ興行だと思っています。頭と頭がぶつかり合う

「ガツン、ガツン」は暴力そのものだと思いますし、それらを楽しんでいる

のは我々ファンなのだと思います。だけどそれを毎回毎回ずっとやり続け

るのは無理があります。身体が持たない。曖昧さの中に面白みを見つける

のが通と云うモノ。組織だってとても閉鎖的で外部の人は入れない。

中学卒業して相撲だけの世界で生きて来て興行も行う。マネジメントや

経営学やスポーツ医学、科学的に格闘技などを研究している人もいない。

昔からのファンはそんなこと望んでもいない。官僚天下りさせますか?

電通入れますか?理事会にそれらの人達入れてもどうにもならない。

相撲と云う興行そのものが矛盾を孕んだものだからです。つまり暴力

そのものを楽しむものだからです。でもまあ時代は変わりました。

もう少し、禁じ手を増やしたり、体重制を導入したり、もっとスピーディに

したり、いろんな工夫が必要な時代になり始めていると思います。

今場所の稀勢の里が心配、また負けだしたら引退になっちゃう!

 

私を生きると云う仕事

2018 年 1 月 15 日 月曜日

なまはげと云う仕事がロボットやAIに代替不可能なように私と云う仕事も

他の物に代えることは出来ません。タレントと云う仕事の事を云ってるの

ではありません。効率や成果だけを追求したら私と云う存在はどんどん

消えていくのですが、私と云う人間が成した仕事だと考えるとそれはどんな

ロボットを持って来ても関係ないです。便利さと同じ平面で仕事やAIを考え

ている。だから不安なんでしょうが、自分を生きて行くと云う仕事は誰にも

代えることが出来ない私だけのモノ。

鬼子母神の踏切の近くに小さな祠が在って、ニッカボッカでリュックの

若者が両手を合わせて拝んでいた。自転車で通りながらふと思いました。

神さんに拝んでもしょうがない。拝むんだったら自分に拝んだ方が良い。

ご利益もおかげも自分の中にあるし、自分を助けてくれるのは自分しか

いません。とことんまで行ったときに、初めてどこかから手が差し伸べら

れると思うのです。自己責任論的な事を云いたいわけではありません。

自分の役割と社会の役割は当然違います。でも意識を変えて具体的に

動き始める人と社会の弥縫に目を向けすぎると人との違いは、雲泥の

差です。新年からなんとなく今年は勝負の年になるなと考えています。

印刷製本業として生き残るための思索は終りです。実際に始めなきゃと

思っています。他にどこにもないイニュニックと云う仕事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上へ