相撲

2018 年 1 月 16 日 火曜日

昨日、危なげではありましたがやっと稀勢の里は勝ちました。

足腰が弱いので常に危なげです。だって自分で立てないんだもの。

相撲は小学校から好きでずっと見ていました。なんといっても曾爺さんが

村相撲に生涯かけて打ち込んで身上を潰した遊びごと、ひ孫の私も全

生涯をかけて見続けなくてはならない宿命です。と大げさなこと言って

ますがほとんど最近は見ていません。時々、稀勢の里をちらりと見る位

です。鳴門部屋の後援者の紹介でずっと新弟子募集のチラシ作って

いました。5年前、中学生向けのパンフレットにあるイラストを描いたら

とても怒られて出入り禁止になりました。関取がサングラスして紫のナイト

ガウンを着てブランディグラスを廻しながらソファーに腰かけてるイラスト。

「神事なんですから!」とおかみさんから説教されました。私からすれば

いまどきの中学生のノリはこんな感じだと思ったのですが。

取材に行った日、朝稽古を見て11時位から稀勢の里、高安関達と

ちゃんこを頂きました。稀勢の里関はとてもひょうきん。チラシに載せる

写真もおどけた顔ばかりで普通の笑い顔を中々してくれないのです。

高安関は穏やかな大きな温かさがにじみ出ているフトコロの深い人と

いう印象でした。良い部屋だったなと云うのが思い出です。

見学に行った日、高安関と高の山関がぶつかりげいこをしていました。

両者とも頭でぶつかって行くのですが、意地の張り合いなのか延々と

頭と頭がぶつかり合う、「ガツン、ガツン」が続きました。練習でここまで

やっているとは思いませんでした。

相撲はスポーツでしょうか?国技なんでしょうか?神事なんでしょうか?

私は、それらをすべて含んだ興行だと思っています。頭と頭がぶつかり合う

「ガツン、ガツン」は暴力そのものだと思いますし、それらを楽しんでいる

のは我々ファンなのだと思います。だけどそれを毎回毎回ずっとやり続け

るのは無理があります。身体が持たない。曖昧さの中に面白みを見つける

のが通と云うモノ。組織だってとても閉鎖的で外部の人は入れない。

中学卒業して相撲だけの世界で生きて来て興行も行う。マネジメントや

経営学やスポーツ医学、科学的に格闘技などを研究している人もいない。

昔からのファンはそんなこと望んでもいない。官僚天下りさせますか?

電通入れますか?理事会にそれらの人達入れてもどうにもならない。

相撲と云う興行そのものが矛盾を孕んだものだからです。つまり暴力

そのものを楽しむものだからです。でもまあ時代は変わりました。

もう少し、禁じ手を増やしたり、体重制を導入したり、もっとスピーディに

したり、いろんな工夫が必要な時代になり始めていると思います。

今場所の稀勢の里が心配、また負けだしたら引退になっちゃう!

 

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