ぐつぐつ、お鍋

2018 年 2 月 20 日 火曜日

暗い本ばかり読んでいるとほっこりする物も読みたくなる。

いろんな流儀、作法、しきたりのそれぞれの鍋の事が書いて

ありますが基本、底でぐつぐつ言ってるのは、それぞれの

ほっこりです。先に読んでいた家人が小鍋を買おうかと云うて

おりましたのをさりげなくスル―する私なのでした。鍋は一人で

食う物じゃなし、二人でしっぽりするには、お互い下腹が出過ぎ

て居る。小学校の時には家で鍋をする事はありませんでした。

一人ひとり銘々に取り分けられたおかずとごはんを食べるのが

流儀でした。爺さんは軍人でしたし、婆さんは断食などをする

尼さんだったので、食べ物と云うのはあくまで身体を維持活動する

ためのエネルギーに過ぎないという考えの様でした。それが家の

暮らし向きも段々よくなり始めた小学校5年生ぐらいの時、大みそかの

夕餉にすき焼きを生れてはじめて食べたのでした。瀬戸内沿いの

海育ちですので魚は良く食べて居ったのですが肉は殆んど口にする

ことも無かった育ちざかりが、甘いお肉なんですよ。とき卵にそれを

どぶりと漬けてはぐはぐと食うのですよ。それも直接箸で好きなだけ

食べてよいのですよ。何故か知らないが忘我の状態で貪り食う私を

ニヤニヤしながら周りの大人たちは唯見ているだけなのですよ。間違

いなく、私の幸せの瞬間風速はマックスを振り切っていた筈です。

その年から毎年の大晦日にするすき焼きが我が家の鍋に定着して

いったのでした。今もすき焼きは大みそかと特別な日にしか食べま

せん。普通の日に食べてもあまり感動は無かった。当時と比べても

遥かに高い肉であるにも拘らずです。鍋は舌が美味がるだけでは

ない心が喜ぶほっこりが隠し味のようです。

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