帰省 途中 豊田市に
2016 年 12 月 30 日 金曜日8月15日の事でした。昼さがり、一人、家の居間でうつらうつら寝ていました。
そばに置いてあった携帯が鳴ったような気がして、手に取るとなんとなく覚えの
ある番号だったのです。知った番号と云うわけでは無く、時々履歴に残っている
番号です。去年位から時々現れる番号。その日は、何故かかけ直していました。
すると昔、父が世話になっていたセイさんが出たのです。10年ぶりでした。
父の葬式以来です。「お父さんが夢に出て、タカシ探していたよ。」と云うのです。
何か起きているなと思いました。父の声が聴きたいと思っただけかも知れません。
その次の日には、大分のおじさんからも電話がかかってきました。3年ぶりなので
びっくり、「誰か死んだ?」と思わず聞いてしまいましたが、大した用事でもなく
近況を伝えあっただけなので、なんとなく話をしたかっただけかもしれません。
多分、私の声は父にそっくりなんだと思います。
セイさんは、内膜性色素変性症で目が見えなくなり始めていると云います。
旦那さんはタンさんと云います。中国の調理師国家資格、特1級を持っている
中華料理のコックさんです。特1級は、中国で何百人しかいません。元々、東京で
中国大使館の料理長をしていました。それが25年ぐらい前、兵庫の神戸飯店に
引き抜かれて相生の店にやってきました。
タンさんの病院での通訳で付き合いが始まりました。盆正月帰るたびに料理を作りに
来てくれて私たちともお付き合いが始まりました。セイさんとタンさんは、父に世話になった
と云ってくれますが、本当に世話になったのは父の方です。このお二人が居たから
さほど寂しくない父の晩年が有ったのだと思っています。
タンさん、私と同じで赤鼻です。「タンさん、随分酒飲むんだねぇ」というと、
「ビール、ビールだけね。」と笑います。
愛知県豊田市陣中町1-26-1
豊田駅と梅坪駅の中間ぐらい。
特別に作ってくれた料理。美味しい。町の中華屋さんのレベルでは無いです。
ハルビンは中国は黒竜江省の町。辛い料理が美味しいみたいです。
夕方、西明石で降りて大久保駅。姪の大学同期の教師仲間と合流。
オッチャンも旦那とすずと一緒に沖縄から帰省。
あれから14年たってみんな元気です。