塩飽 本島 老人と海

2013 年 8 月 22 日

岬を周る坂道の途中、林の切れ目から見えた浜辺。

浜辺にたたずむ爺さま。 夕方、風もなく 気温30度。

飽きるほど潮風に吹かれてきたはずでしょうに・・・・。

何を思うのかな? あの橋立てたのかな?あの橋立てていたとき

誰か死んだのかな?あの橋のせいで生活が立たなくなったのかな?

ずっと座って 海見てた。

北岳

2013 年 8 月 10 日

友人より電話あり。息子が北岳登頂を計画しているところで、何か

アドバイスをしてやってほしいとの事。22歳の大学生がアドバイスも

何も、ちゃんとした装備と体力と的確な判断力があれば、何も難しい

ことはないよと答えたのですが、いろいろ細かいことを話していると何の

事はない、後唯一テントが無いので、貸してほしいと云うのが結論で、

だったら最初から単刀直入に言ってくれたら、偉そうに長講釈を垂れる

ことも無かった。北岳は日本で2番目に高い山。南アルプスの中心にあり、

みんな異口同音に言うのが夜空の星が素晴らしい、こんなに沢山の星が

輝いているのを見たことが無いというセリフです。北岳の上には特別な星の

磁場があるようで星たちが集まって来るようなのです。(笑い) ・・・。

生まれて初めて (笑い) を使ってしまった。

北岳に登ったのはもう25年ぐらい前です。  2年続けて。

最初の年は土砂降りの雨でした。しっかりカッパ来ていたけど全身ずぶ

ぬれになって体力を消耗してしまったので、白根御池からあっさり下山。

我々のリーダーは高校時代登山部のキャプテンだっただけに、いつも一番

弱い人の調子を見ていて無理だと思ったらすぐ撤退という的確な判断を下し

ます。白馬に上る予定の集合場所に一人バスケットシューズで来た女子が

いて、その時は登山を中止して遠足にしてしまったこともあります。登山部の

仲間はその前身がオフロードバイクのレース仲間でそれほど生真面目な面々

などいなくて、無茶が勲章みたいな連中だったのに皆して一気にバイク降り

ちゃった。自然を少しばかり痛めつけすぎてその反省からかも知れません。

翌年は、梅雨明け1週間後の晴れ晴れの日。気持ちよく去年のリベンジに

皆の心は高ぶります。広河原の手前、午前2時の夜叉神トンネル。電灯の

ない一本の真っ暗な漆黒の筒がどこまでも続きます。時速60キロ。ここで

車の電気を消します。  1秒、2秒、3秒。  「うぉー、やめろぉー。」

ここで全員目をさまし、笑いと歓声と雄叫びが車の中にこだまする。

アー、青春だったのね。

北岳は一般的には八本歯のコルの左俣コース。草すべりから直登する

白根御池コースがあります。大樺沢の左俣コースは、あまり樹木が無く

視界が開けているので、解放感たっぷり。我々は白根御池コースで登って

大樺沢を下るコース。草すべりの急登は周りを樹林帯に囲まれて風が抜け

ない蒸し暑さ。でも山のご褒美は得てしてつらい苦役の後にもたらされます。

あそこが尾根だあそこが尾根だ。裏切られながら一歩一歩を積み重ねて

行くから視界が晴れると嬉しさが一入だし、水も美味い。多分その苦役は

全て夜の満天の星に続いているのです。若者よ、狭き門より入れというのは

少し違うのかも知れませんが、北岳は、汗と苦しさと若さの輝きがそのまま

夜空の向こうで光り輝きます。 北岳の星空は私の生涯百景の中の上位に

君臨しています。

アブラ蝉

2013 年 8 月 8 日

アスファルトの上で天に向かって手足を震わせていた

虫の息のアブラ蝉。指を持っていくと必死にしがみ付いて

来ました。せめて涼しい所でと事務所に運んでいると

指先に鋭い痛み。間違えて口吻を差し込んでいるようです。

この強烈な痛みの中に私と蝉との命の交感が轟いた。

蝉君からの贈り物、命のバトンです。

・・・・・・・・・・・熱があるみたいです。

ここまで書いて、アップしようとしたところで、詩人の

清水さんの手紙が到着。

「つくつくおーしであふれんばかりの八丈です。八丈はセミは

つくつくおーししかいないのです。」と手紙の書き出し。

全ては繋がり、あらゆるものが交歓している。

塩飽水夫

2013 年 8 月 7 日

今度の帰省では塩飽諸島に行ってみようかと考えております。

塩飽諸島とは岡山と香川に挟まれて瀬戸内に点在する島々。

瀬戸大橋が橋脚を伸ばしていく島々でもあります。

戦国時代は塩飽水軍として名を馳せ、倭寇で活躍したという

言い伝えもあります。屋島の戦い、足利尊氏の戦いなど等。

織田、豊臣、徳川に仕え江戸時代には御用船形として重用され

西回り航路を一手に担う働きもしたそうです。幕末の米国に渡った

咸臨丸の水夫は50名中35人が塩飽水夫。人名による自治も

行われたのですが、大阪の廻船問屋に航行権を奪われたり、

島民同士の諍いなどで衰退して行き、それでも船大工の技術を

生かした家大工、宮大工と瀬戸内沿岸の方々で塩飽大工として

活躍もしたそうです。境のない水の上を自由に行き来した海の男

たちの歴史を見てこようと思っています。

広島の男たちもやはり自由に勇敢に世界に飛び出して行く人々でした。

広島県の人たちはあらゆるところに移り住んでいる。ハワイ、ブラジル、

アメリカ、ペルー、ベネズエラ。塩飽水夫と同じように船大工の技術を

持ち進取の精神を発揮して新天地に向かう自信を持っている。

だからこそ、海軍の要所がここ広島や呉に集結したのだと思います。

東京に出てきて広島の友達が出来ました。広島の友人たちの集まりにも

混ぜてもらうようになりました。広島の人たちは、結束力は強い。常に

仲間に対する気遣いを優先します。私なんかは仲間に入れてもらった方

だから、気兼ねなく大バカな冗談も言ったり言われたり、屈託が無かった

のですが、一方、仲間以外の者に対するバリアは強いものがありました。

その当時は、なぜ広島やくざがあがーに激しいのか、喜怒哀楽の落差が

大きいのか理解が出来ませんでしたが、今ではなんとなく理解できます。

あんなに激しい地獄を見て、周りから差別されりゃー致し方ないでしょう。

今年は塩飽と広島と祝島に行く予定です。

立候補

2013 年 7 月 29 日

ロールスロイスのボンネットの先端に格納されていた

「スピリット オブ エクスタシー」 ボンネットマスコットが

オープニングと同時に現れます。

車の内部は薄暗くどのような素性であるのか明かされないまま、

車の中のテレビモニターはボーズ頭の男の選挙の政見放送を

流します。「諸君。諸君がありがたがっている選挙などまったく

持って無意味である!」「選挙などをしても全く、意味がない!」

ここらあたりでガッツリこの映画に首根っこ引っ掴まれます。

あまり内容書きたくないです。大笑いします。一人でみんなと

対峙する姿に狂気さえ感じさせます。そしてそれは涙に代わる。

どんな意味不明でも私たちは、受け入れなければならない。

ぜひ、その絢爛たるカオスの海へ、どうぞ。どうぞ。

上へ