オーラル ヒストリー
2014 年 8 月 5 日 火曜日柳田国男の「山の人生」の中にある話。
いくら炭を焼いてもほとんど金にならない。ある日、昼寝から覚めたら
子どもたちが、斧を研いでいる。そして「おとう、これで自分たちを殺してくれ」
という。飢えきっている小さな子たちの顔を見ていると、前後の事も分からなく
なり何も考えないで木を枕に横になった我が子を殺してしまった。
オーラルヒストリーというのは聞き語りというのでしょうか、歴史に残らない、
文字になっていない歴史のいきさつなどを当人に質問しながら埋めていく
作業です。文字になったものというのは、その時点での結論であり断定です。
しかし、物事には過程があり揺らぎがあり短絡があります。そこを歴史の証言者
から聞き語りという形で行間を埋めてもらう。一般には大きな歴史の事変などが
主になるものです。ごく普通の山の人、町の人の人生というのは表には出てきま
せん。最近でこそ、ブログや日記などネットでの自己の開陳が書かれて居り
ますが、そこはやはり、都合の良いようにしか書かれていません。いくら偽悪的で
あろうともギリギリセーフの開陳です。質問者が訊く場合は応えで取り繕うとも、
やはりそれなりに生のその人が立ち上がってきます。
人間図書館というのがあります。いろんな経験を積んだ年寄りが子供たちの前で
どの様に人生を経てて来たか、何が起こってどんな風に思ったかを喋ります。
その時は素晴らしいなと思いました。活字になっていない生の声は子供たちの
心に響くだろうなとも思いました。でも、自分で思うように話したら、脚色を免れ
ません。的確な質問者というのは、編集者でもあります。自分の話を語ろう
とする話者を誘導することによって本人も思いもよらなかったもう一つの人生が
立ち上がってきます。つまらない人生なんて一つもない。ごまかし続けた人生
だって、そこにはちゃんと人間の本質が現れている。面白かったです。
勁草書房 「街の人生」 岸政彦
養老の壁
2014 年 8 月 2 日 土曜日東京を夜の10時位に出発してただひたすら、ノンストップで
東名を走り続けて最初の給油ステーションが養老SA.
大体400キロ弱、時間は2時過ぎ、盆と正月、兵庫県の西のはずれまで
帰省するのにどうしてもたどり着いていなければいけないサービスエリア。
ここでガソリンを入れて3時間仮眠してまた走り続けるのでした。
これが一番短い時間で700キロを走り抜ける、盆暮れ、GWのパターン。
かみさんとは同じ高校で出会っていたので帰省も同じ地域でした。
かれこれ30回以上向かい続けた、養老の壁。居眠りを始める前に
辿りつかなければいけない中継点でした。
養老孟司さんの壁シリーズ、第3弾でしょうか?「自分の壁」
先日、「身体巡礼」で初めて養老さんを読みました。
明快に解説してくれる身体論や死生観など判り易くてこれは売れるだろうな
という面白さです。墓場好きなのも好みです。
次が「自分の壁」 だいぶ昔「バカの壁」を手にしたことはありました。
最初の何ページかで放り出しちゃった。何かで気に入らないとすぐ放り出します。
我慢して勉強だからと読み続ける事が出来ない性格なのですね。
自分壁は面白かった。暴走のきらいはあるけど。世界のWEBのテキストの
70%は日本語である。江戸時代、侍は1%だった。ほんとかなという言い切りは
たくさんあるけど、でも痛快無比です。自分という「人」の範囲と「人間」の範囲
それぞれは、社会性を含めて考えていくと当然、その境界は違ってきます。
自分という「人間」の範囲で自己を規定すると地域性や民族性が係わってきて
それは、戦前の仏教が「縁」や「因果」で戦争の大義を後押しする図式ととても
似た言い回しです。面白い、納得、その通り、の向こうにあるものに少し注意しな
ければ行けないような気がします。
倉田百三にしびれる人はいっぱいいたのです。