オーラル ヒストリー

2014 年 8 月 5 日 火曜日

柳田国男の「山の人生」の中にある話。

いくら炭を焼いてもほとんど金にならない。ある日、昼寝から覚めたら

子どもたちが、斧を研いでいる。そして「おとう、これで自分たちを殺してくれ」

という。飢えきっている小さな子たちの顔を見ていると、前後の事も分からなく

なり何も考えないで木を枕に横になった我が子を殺してしまった。

オーラルヒストリーというのは聞き語りというのでしょうか、歴史に残らない、

文字になっていない歴史のいきさつなどを当人に質問しながら埋めていく

作業です。文字になったものというのは、その時点での結論であり断定です。

しかし、物事には過程があり揺らぎがあり短絡があります。そこを歴史の証言者

から聞き語りという形で行間を埋めてもらう。一般には大きな歴史の事変などが

主になるものです。ごく普通の山の人、町の人の人生というのは表には出てきま

せん。最近でこそ、ブログや日記などネットでの自己の開陳が書かれて居り

ますが、そこはやはり、都合の良いようにしか書かれていません。いくら偽悪的で

あろうともギリギリセーフの開陳です。質問者が訊く場合は応えで取り繕うとも、

やはりそれなりに生のその人が立ち上がってきます。

人間図書館というのがあります。いろんな経験を積んだ年寄りが子供たちの前で

どの様に人生を経てて来たか、何が起こってどんな風に思ったかを喋ります。

その時は素晴らしいなと思いました。活字になっていない生の声は子供たちの

心に響くだろうなとも思いました。でも、自分で思うように話したら、脚色を免れ

ません。的確な質問者というのは、編集者でもあります。自分の話を語ろう

とする話者を誘導することによって本人も思いもよらなかったもう一つの人生が

立ち上がってきます。つまらない人生なんて一つもない。ごまかし続けた人生

だって、そこにはちゃんと人間の本質が現れている。面白かったです。

勁草書房  「街の人生」  岸政彦

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