熊野町装幀研究所

2009 年 5 月 29 日 金曜日

村上春樹著 「1Q84」

4/6判:上巻¥1,890  重量 548g  下巻¥1,890  重量 512g

上巻のほうが少々お得です。

[表 紙]  用紙:アンドレ(色 特注品) 4/6 Y目 120K :印刷: 墨1色

[見返し] 用紙:タント N-62 4/6 Y目 100K

[本 扉] 用紙:TS-3|N-9 4/6 Y目 100K :印刷: 墨+緑2色刷り

[本 文] 用紙:書籍用紙クリームラフ 4/6 Y目 62K

印刷:墨1C/1C

[カバー] 用紙:不明(エンボス系の特殊紙 白) マットPP加工

印刷:墨+グリーン+黄色  タイトル ブラック箔押し

[ 帯 ] 用紙:アート紙110K 印刷:墨+グリーン+黄色+OPニス

[製 本] 上製本 花布 白  栞 金

カバーの黄色い紋様について:

スキャニングして影を強調してみた結果、浮き出てきたのは月でした。

満月ではなし。

緑のQについて:ネズミ男に似ているような気がします。

全体的にはあっさりしたデザインを装っておりますがエンボス加工のカバーの用紙をルーペで見てみたら、何千、何万の馬や人や犬やヤモリ達が一つ所に集められて、大きなプレス機で上からペチャンコに押しつぶされた模様になっていて、ちょっと衝撃を受けてしまいました。

見かけにだまされたらあかん言う意匠やったらなかなか素晴らしい出来栄えではあります。

阿Q正伝

2009 年 5 月 21 日 木曜日

「1Q84」今度の村上春樹さんの小説です。ジョージ・オーウェルの「1984」と

魯迅の「阿Q正伝」とを合わせた題名だそうです。

魯迅は父が熱く語っていた人だったのですが、私は、父のことが嫌いでずっと長く反発していたので、手に取ることはありませんでした。

しかし、村上先生が題材にされたのですから読まないわけには行きません。

阿Qと云う、名前もよく分からない人の伝記です。

虚栄心の強い馬鹿な無政府主義者として描かれています。

しかし、ひどく愚かに描かれた阿Qは、自分自身のことのようにも思えます。

革命を達成させようと覚醒と啓蒙の話であるように思うのですが、それだけではない不思議な感じがします。

愚かな人間として阿Qが描かれているのに、人間賛歌のような感じもするのです。

愚かでよい、弱くて良い。あるがままで良い。

阿Qの人生を丸ごとそのまま肯定しているような気がします。

立派な一人の人間として認めて伝記として残す。

これが魯迅の愛であろうと思いました。

ETCとNシステム、携帯電話、デジタルテレビ、検索履歴デジタルで記録される一人の人間の伝記。

これがシステムで阿Qが卵と云う事なのでしょうか?

母の日2009

2009 年 5 月 10 日 日曜日

毎週花を買いに行く、近くの花屋さん「花結びさん」。

朝立ち寄ってカーネーションを選んでると

「お仏壇用でしょ?そちらに白いカーネーションがありますよ。」と

白い方を勧めてくれます。

小学生の時も学校で、カーネーションを買ってお母さんにプレゼントするイヴェントが毎年あって、お母さんのいる人は赤いカーネーション、亡くなっていない人は白いカーネーションと決められていたように思います。

ずいぶん残酷な話です。

生きていようが死んじまおうが、母ちゃんは母ちゃんだし、ありがとうはありがとうです。

カーネーションは赤い方が華やかだし、気持的にしっくりきます。

ゴールデンウィーク

2009 年 5 月 7 日 木曜日

5月3日から妻の実家に帰省。読書と草むしりの穏やかな休日。

草刈り機を任されて放置されていた畑を1時間ほど草刈り。

途中の給油でガソリンだけ入れて、エンジン焼きつかせて、大目玉。

そう云えば、音も匂いも2サイクルエンジンのものだと後から気づくのですが、やってる最中は、なんだか興奮しちまって、

「ウィーンジャリジャリ、ウィーンジャリジャリ」って完全に小学生に戻っちまっている。

・・・・・・我ながら、ほんとヤレヤレです。

でも義母を笑わすのが私の使命。おバカな私で許されるなら、それこそ本望と云うもんです。

私の母も認知症でした。家族で看ていたけど5年目、私が情けないばかりにある特別養護施設に入ってもらうことになりました。

そして4年目、その施設でパンを喉に詰まらせて亡くなってしまった。

介護保険が始まる前でした。

母の介護をしている時は、かみさんはいつも私の母の手を握っていてくれたのに、自分の母親だとなぜか、なかなか手を繋ごうとしない。

いろんな想いが錯そうするのかも知れません。

それで私はと云うと当時、母親の手を握るのがすごくつらかったのに、今は義母の手を握るのがとても楽しい。

でもそれは本当の意味で私が真の当事者ではないからとも云えます。

介護とは、親子としての過去を振り返り、明日の自分と向き合い、今の自分が試される。

サービスでは賄いきれない、ある部分があるように思います。

子供に国境はありません。

2009 年 5 月 1 日 金曜日

国境とは、大人のそろばん勘定で線引きされるもので、子どもは、国の経済活動とは関係ないのですが、悲しいかなその経済理由の所以ゆえに国境をかたちづくる経済的システムに組み込まれていきます。

子供や孫と遠い異国の子供たちとの違いにどれほどの違いがあるのかどうか己の遺伝子だけに意味または価値があるように思われますが冷静に大きな視点に立てばそこにはたいして差があるわけでもないんです。

縁故も好悪も関係なしに子供を見た時にすべて押し並べて愛おしく愛くるしい。

今日、新宿に打ち合わせに出たついでに「国境なき子どもたち」の写真展に寄らせてもらいました。

写真の中に懐かしい悲しみを見ていました。6歳の時に亡くなった姉の姿。

こんなにも貧乏じゃなかったけど、そこに姉が写っていたように思ってしまいました。

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