うどん

2020 年 6 月 26 日

食べ物の話はあまり書かないです。書かない様にしています。

「読書の日記」や「富士日記」等は食べ物の話ばかりですね。

人の食べ物の話は大好きなんです。どの様な作品に触れたと

云うより何を食べているか?と云う方が遥かにその人の本質

を現している。と思っています。だから余計に書けないので

す。一昨日の朝、香川県でうどんを5杯はしごして食べている

のを朝食のパンを齧りながら見たのです。久々の小麦です。

食べているのも見ているのも小麦です。小麦を押さえる様に

なっているけど時々やみくもに小麦食べたくなります。パン

は、日曜日に買った渋谷の「VIRON」のバゲットです。

さてさて、うどんの話。池袋のジュンク堂の横、東通りを少

し入った処に武蔵野うどんの「うちたて家」。ここのうどん

は硬いです。歯が立たない。ぐらい硬い。入れ歯の無い父親

に死ぬ半年前にここのうどんを食べさせた。もう長くないか

ら入れ歯は要らんと云うから、食わしてやった。中々旨いと

やせ我慢していた。九州全体のうどんは柔らかい。何処で食

べても大体柔らかい。昔うどんは病人が食べるモノでした。

カレーは飲み物です、とんかつは飲み物です等と柔らかさを

謳う店がいろいろありますが、そこは本当に腰を抜かすほど

柔らかいのは伊勢うどん。おかげ横丁の「ふくすけ」ここは

伊勢うどん一本だった様な感じだったので入りました。小さ

なころからずっと聞かされていた「箸で切れるステーキの和

田金」を予約していたんだけど、その日になって伊勢神宮に

お参りに行くのに「ステーキ」喰って行くのは、何か違う気

がしたので「身体の調子が悪い」と云ってキャンセルしたの

です。かみさんは少し面白く無いような感じでした。内宮を

先に参拝したのでお昼だいぶ過ぎていました。それで、さほど

期待する事も無く「伊勢うどん」です。甘がらいたれがかかっ

て大盛にして生卵を乗せてどんぶりから飲み込むようにすすり

上げて、レジで会計しているともう腹まで着いた様で「グー」

腹の虫が鳴りよるのです。恐ろしいほどの消化ですね。讃岐う

どんは、有名な処は何処にも入ったことが無くこしの在るのか

ら柔らかいのまで色々です。腰が強い方が小麦の甘みと旨味が

感じられるのでこしこしと云いがちですが、出汁やのど越しも

うまさの重要な処、腹減っていればなんでも旨い。最後にこの

セリフが出てしまうので食べ物の話は、上手く纏まらないです。

日記営業

2020 年 6 月 25 日


「読書の日記」は500ページ位まで読み進めて来てなんとなく飽き

てしまい、終りにしてしまいました。自分自身の日記の立ち位置など

再確認したくて、色々な日記を再読しています。高見順、武田百合子、

深沢七郎等など。しかしあまり参考にならない。

阿久津さんの「読書の日記」は、商売とウエブサイトと個人の人とな

りとそれらをすべて含んだ営業日記になっていて、参考になると云え

ば大変参考になる。しかしここまで赤裸々に書くのかぁと少し腰が引

けてしまう私が居ます。気に入らない客も容赦なく怒りますし、日記

でも赤裸々ですね。これ読んだら、思い入れの無い人は一発アウトの

様な気がしますが、逆に言えばより強いファンを獲得するかもしれま

せん。度胸が良い。fuzkueの理想形が図書館化なのだとしたら、仕込

みや、厨房が忙しければ忙しいほどお店の理想形から離れて行く。読

書にのめり込めばのめり込むほど、経営の本筋から離れて行く。この

大いなる自己矛盾を抱えながら七転八倒が面白いのでしょうね?少々

意地悪な書籍化では無いかと思ったりしますが・・・・。

さて私は如何する?私自身もここで反社会的な言説を振り撒いている

限り、大企業から付き合って頂けないと云うのは、重々承知している

のです。だから隠そうかなと云う考えも出て来ますしやめちゃおうか

なとも考えます。SNS的な利用と云うのは常に両刃の件です。

okinawa lives matter

2020 年 6 月 24 日

6月23日は沖縄「慰霊の日」です。約3ヶ月続いた沖縄地上戦が

終わった日とされています。この日となると新聞はあの戦闘の苛烈

な新事実や旧態依然を年に一度のお約束の様に言い立てます。あの

年の事だけ云っていれば、御役目は果たしたと云わんばかりに。だ

けど沖縄の人々が云っているのはその後の75年の沖縄の処遇です

よね。そちらに関しては一言も云わない。

いじめの主人公は、いじめられている人でしょうか?いじめている

人でしょうか?いえいえ真の主人公は、直ぐそばで見て見ない振り

をしている私達です。見て見ない振りをする従順な国民を創る為に

教育現場に持ち込まれた制度なのです。

家を捨てる

2020 年 6 月 24 日

小川さんは未だ生きているのに家を捨てた。退路を断つと云うのは

ある意味凄い事かも知れない。でも何かを捨てると云うのは、皆何

等かでやっている事かも。会社を変える、伴侶を変える、家を変え

る、属性を変える。変えると云う言い方しているけど、古いのを捨

てているのですね。アメリカやヨーロッパで銅像が破壊されていま

す。今まで連綿と続いて来た植民地主義、王族主義を捨てると云う

決意表明であるとみています。特にアメリカは、内戦状態になるか

も知れない。世界中から軍隊を撤退させ始めています。駐留費の様

に行っていますが違う感じもします。アメリカにとって最大の脅威

は自国民なんですね。コロナで何とかいけると思ったけどそれほど

甘くは無かった。小川さんが家を捨てたと書いた時になんとなく想

定していた着地点から全然違う処に来てしまった。頭が上手く動い

ていないなと思う今日この頃。国家を捨てようと考える人たちがあ

る一定数出始めている感じがします。

早速 小川さんに

2020 年 6 月 23 日

早速、森山さんの写真展の図録をホスピスに送ります。

若かりし頃の小川節男さん、荒木さんの隣でご機嫌です。

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