日没
2020 年 11 月 25 日言論統制、作家粛清のディストピア小説。4年前位から書かれ始めた小説
ですが、現実はもうすでに追い越してしまっています。
言論統制、作家粛清のディストピア小説。4年前位から書かれ始めた小説
ですが、現実はもうすでに追い越してしまっています。
さよなら人類から5年ぶりの新作ですが、中身はあまりと云うか殆ん
どと云うか変わっていない印象です。これを作る意味は在ったのでし
ょうか?しかし、私の印象は180度違いました。「良くもこれほど
ディスって呉れるよね」です。ロイ・アンダーソンの映画は2本しか
観ていないのでこう云う作風から差異を見つけ出さなくてはいけない
のかどうかちょっと判らない。ホモサピエンスの悲しみとは形而下と
形而上と解離が大きすぎるところに在る様に思います。又は4Gのス
マフォの機能が在りながらアナログ電話を使わざる負えない感じ。私
は犬や猫にも同じような匂いを嗅ぎ取ります。「お前たちぃ、私たち
と喋りたいのだろう?」しかし、その様な視点でもう一回「ホモ・サ
ピエンスの涙」を観ると「さよなら人類」よりもっと余分なモノをそ
ぎ落として寄り露わになっている気がします。5年分のスマートさが
乖離をより激しくしてしまっている。それと、やはりこの状況ですね。
今年正月に沖縄の友人の新居に訪ねた時に見せられたのはインター
ネットに繋がったテレスクリーンでした。声を発しただけでユーチ
ューブに切り替わったり、普通のテレビ番組を観ていても、我々の
声を聴いているようで、私たちの話題に合わせた情報番組を流すの
でした。テレビの番組と我々の個人情報がしっかり繋がって関連情
報を映すのです。沖縄の正月は、箱根駅伝は映らないのです。読売
だから拒否しているのか、読売の方が意地悪しているのか判らない
のですが。たまたまその話から日清に行った矢澤曜君の近況の話に
なりました。そしたら、そしたらですよ。当の矢澤曜君がテレビに
出て来たのです。オープンハウスのコマーシャルになって広告塔に
なった曜の字がオープンハウスの宣伝するのです。この時は広告な
のか番組なのか良く判りませんでした。しかしその次が吃驚です。
私の出身地、相生のど根性大根の紹介ニュースが続いたのです。か
みさんと思わず目を合わせてしまいました。聞かれている。このニ
ュースは、もう何年も前のモノです。で何故11か月前のこんな話を
蒸し返しているのかと云いますと我が家もテレスクリーンを買ったの
です。少し前に我が家のテレビが壊れたのです。それで今のテレビは
インターネットに繋がっていなくても、筒抜けなんだろうなと思って
しばらくテレビ無しで過ごしていたのです。新婚当時はテレビなんか
必要も無い甘い時間が流れていたのですが、流石にこの年になると喋
る事も無い。皺とあばたを見続けても気が滅入るだけだ。「良いじゃ
ない、この詰らないプライバシーを聞かせてやりましょうよ」と音を
あげたのは、私だったか、彼女だったか?残り少ない人生を詰らない
事を気にしながらの余生は厭だと云う処に落ち着いたのですね。
しかし未だインターネットには繋がっていません。テレビが点いてい
る時は、息を潜めています。
NHKのテレビ出演でテーブル叩くスガーリン。
それを観ながら静かに動き出す、第三次安倍内閣。
群衆三部作の「国葬」と「粛清裁判」を観て来ました。
ファシズムの主役は群衆である。統一を求め粛清を要求する。
全体への一体感は、種としての遺伝子的記憶。ファシズムは
潜在的に我々の中にあり常に希求すべきもの。
マスクと云う徴の中に全体主義という安心が含まれている。
今年の正月に沖縄の友人の所に行ったとき、うちなーそばと一緒に
よもぎを店で食べたのでした。生でテーブルにどんと薬味として置
いて在ってそれを皆ワシワシ食べてるのですよ。勿論頂きますよ。
春菊より味も濃くて、勿論香りも違う。「あ~、良いな」をお土産
にして帰って来たのです。それから今年はいろいろ在ったけど、こ
の前銀座に行ったときにふと思い出したのです。ひょっとして「沖
縄館」に在るのではないだろうか?いや~、ありましたね。早速3
束も買ってしまった。サラダで食べ、オムレツで食べ、お好み焼き
で食べ。独特の香りが癖になる。パクチーはもう古い。次は食用よ
もぎです。