いま、息をしている言葉で。
2021 年 4 月 16 日光文社「古典新訳文庫」誕生秘話。古典を選んで翻訳者を決めて社長を
説得して実現させた元編集者のお話しです。2000年から2010年
位の時期と云うのがこのシリーズが立ち上がった必然と云う気がします。
かくいう私も数々の古典に跳ね返された一人です。題材に興味が合った
モノは何とか読み徹す事は出来ましたが、これぐらいのモノは読んでお
かなくちゃと手に摂ったモノは、大体数ページで挫折しています。明日
の事では無いと云う唯それだけで読む価値があるのか?と云う言い訳を
読み始めて直ぐに考え始める。実際ストーリーは古臭いのです。人文学
的なモノしても2500年前に孔子も釈迦もソクラテス、そして遅れて
イエスも出て来て基本的な概念は大体その時代に創出されている。後は
時代、時代の言葉で時代に即した物語が紡がれたと云ってしまうとあん
たは歴史そのものを全否定するのか云われそうですが、まあそうとも言
えます。だって最重要な命題がそもそも違うのですから。マリーアント
ワネットが下々の気持ちが判らないのと同じですね。先日読んだ「生活
の発見」の中にAIやスマフォ、ロボット等我々の生活は大きく変わっ
たけど最大の変化は、寿命が1.6・7倍に伸びたと云う事だと書いて
在ったのです。150年前は大体、50歳ぐらいで人は死んでいた。勿
論貧富の差でもっと早く死ぬ幼児が沢山いて裕福で長生きする老人の数
の平均を縮めているという見方もありますけどね。死が身近にある人生
と退屈で1日何をして生きれば良いか判らない人生では、大切なこと自
体がまるっきり違います。大航海時代3か月かけて行っていたヨーロッ
パに12時間で行けてしまう。膨大な時間を掛けなければ調べる事が出
来なかった学術があっという間に判ってしまう。つまり古典新訳文庫と
云うは、インターネットが急速に普及する丁度、2000年から201
0年に咲いたあだ花とも云えます。これ以降はもう、難しいのではない
かなと思います。150年前、50年で出来た事と比べると多分我々は
500年分以上の時間を享楽している。息も言葉も超える明日を我々は
渇望し始める気がします。