ジダンの頭突き

2006 年 7 月 11 日

フランスが決勝まで勝ち進むことができたのは、ジダンの頑張りだと思う。フランスという国が一つになって声援できたのは、ジダン自身のパッションを共有したからだと思う。私達はワールドカップのトロフィーが欲しかった分ではなくて、選手と一緒になって、心を燃え上がらせる時間を共有できたかどうかなのではないかと思います。そう言った意味では、国とか人種とか関係なくジダンに想いを託した人は、すごく多いような気がします。人は、あれもこれも持ち合わせる事は、できないし、何かに抜きんでれば、何かが犠牲になってしまう。華麗なテクニックのジダンにシビレるし、施設へ慰問に行くジダンに感心もします。でも、頭突きをするジダンが一番、好きなんだな。

やっぱし。

キタ、キター、ジダンが帰ってキター!!

2006 年 7 月 7 日

フランス、あれよあれよあれよと勝ち上ってきてしまいましたねぇー。そして、その中心にいて存在感を如何なく発揮しているのが、我らがジダンぢゃないですか。ジダンは、さすがにウマイです。昔のようなキレはありませんが、体中から気迫を漲らせて、相手ディフェンダーからの強引に体をぶつけて来るようなプレイをさせていません。炯炯と眼光を光らせ、完全にゲームをしきっているようです。老練には老練の闘い方があると言うのを、身を持って現わしているようです。決勝を闘うには、もうあまり体力が残っていないような感じもしますが、最後までジダンを応援したいです。フランスの人達は、うれしいでしょうね。ここ2、3年、すごく国が荒れていたから、久しぶりの光明ではないかと思います。ホイッスルが鳴ってゲームが終わり、ポルトガルのフィーゴと抱き合って、互いを讃え合い、ユニフォームを交換して、そのユニフォームを着た時、私はあらためてジダンの度量の大きさに感心してしまいました。だって、あのフィーゴの汗だらけの男のエキス、ツユダクのユニフォームですよ。あれを着れるジダンという男の大きさが、ゲームを支配できる強さなんだと思います。汗だらけのユニフォームを体に貼りつかせ、山猫のように背を丸めてドリブルで切れ込む姿は、ケダモノの様でもあり、あんなに男男している男もちょっとめずらしいです。ジダンのちょっと枯れた初老の爺さんのような風貌と好対称です。

岡山県日生の魚市場で売られていたエイ。漁師町では、普通にエイも食べるのですね。エイの体の色とフィーゴの汗で光るユニフォームが、少し似ていたので......。

粗大ゴミ

2006 年 6 月 26 日

あるお宅の玄関先に、出されていたローラースケートとヘルメット。ちゃんと一枚一枚に、粗大ゴミのシールが貼ってあります。律儀で細やかな性格の方なのでしょう。私だったら燃えないゴミで出してしまいそうな大きさですが…。ローラースケートで思い出すのは、30年ぐらい前に東京12チャンネル(関西ではサンテレビ)で放送していた「日米対抗ローラーゲーム」です。日本チーム5人とアメリカチーム5人で殴り合ったり、蹴り合ったりしながらトラックをぐるぐる廻る競技でした。そのアクティヴな格闘スポーツと律儀な細やかなさが歳月を感じさせる状景かなと写真を撮ってみました。しかし、よく写真を見てみると、スケートはインラインスケートです。これは、もう少し最近のものですね。ということは、これはご自身のものではなくて、もう家を出て行ってしまった子供たちの物なのでしょうか?子供と過ごした時間の大きさが、こんなちっちゃな物を粗大ゴミにしてしまったのでしょう。大切な思い出の品々に込められた気持ちが現れているようです。でも「かたづける」という行為には、いろんな寂しさがつきまといます。

サラバ、レオよ。

2006 年 6 月 22 日

今月一杯まで借りている、旧イニュニックに立ち寄り、後片付けをしていると、車の横を通って旧道場の方へ行くレオの姿。「ちゃんと憶えてくれていたんだねぇー。」と思わずうれしくなりました。3月の恋の季節を迎えた頃には随分痩せてしまい、「レオ、あんた、大人になったね。」と喜んでいたのですが、色んな処で餌を貰っているのでしょう。またもとの太っちょに戻ってしまいました。まっ、元気でおやんなさい。バイバイ。

実は、わたしは新イニュニックで、新キャラの「ヒゲジイ」と出会ってしまっているのです。なかなか写真を撮る機会が無いのですが…。とにかく、おもしろい顔をしています。

夜がまた降る

2006 年 6 月 21 日

滋夜滋夜と今夜もまた、恵みの夜が降り続いております。寝る前にちょっと見るサンシャインビル。今の私の一番、幸せな時間です。隣のビルは集合住宅のようです。2つの大きな触手を空に伸ばし夜のかけらを集め乍ら、上へ上へと背を伸ばしているような感じがします。しかし、あのクレーン達は一体どうやって下に降りるつもりなのでしょう。調子に乗ってどんどん高くまで上って来てしまったけど、降りるに降りれなくなった、木の上の猫のようです。

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