マグナム・サッカー

2009 年 7 月 13 日

マグナムのカメラマンが約50年、世界中でサッカーに興じる人々を写した写真集。

シチリアでパリでベナレスでイエメンでヴィラ・サヴォイアで上海で刑務所で石油のプラットフォームで、子供も大人も神父も兵隊も僧侶もヌーディストもゲリラもモンローも。

ここには無垢のサッカー人たちが写っています。

ジョージ・オーウェル 「サッカーとは、射撃なき戦争だ。」

ジャック・デリダ 「タッチラインの向こう側には、何も存在しない。」

カミュ 「すべては、サッカーから学んだ。」

サルトル 「試合においては、相手チームの存在が全てを混乱させる」

ペレ 「サッカーとは美しきゲームだ」

リバプールの元監督 「サッカーは生死に関わる問題だと信じる人々がいる。

そんな姿勢には深い失望を覚えずにいられない。

サッカーは生死よりも遥かに重要な問題だと、 私には断言できる。」

ワタシは、「次に生まれ変わるとしたら、サッカーボールになりたいな。」

ブックフェアー&サイモン&ガーファンクル

2009 年 7 月 11 日

ビックサイトで、文具展とブックフェアー。出版社のデジタルパブリッシングと印刷のオンデマンドプリンティング、電子黒板が多かったです。

高山なおみさんの「ちくたく食卓」と鈴木大拙の「禅 100題」

洋書でアーヴィング・ペンとサッカーの写真集を購入。

渋谷文尖閣さんがノドまで開く並製本を紹介していましたが、原理としては、簡単そうなのでイニュニックでも実用化できたら面白いと思いました。

文具フェアーでも思いましたが、強力な糊が出来てきて、いろんな製本ができるようになっていくように思います。

そのまま後楽園でサイモンとガーファンクルのコンサート。

「俺は、ロッカーだぜ」と恰好をつけていますが、実は一番最初に夢中になったのは、サイモンとガーファンクルなんです。

中学生の時、映画館で友人たちと初めて見た大人の映画が「卒業」でした。

内容は、よく分からなかった。乳首に飾り物をつけてぶんぶん振りまわす、レストランも不思議だったけど、彼女に意地悪してそいう所へ連れて行く感覚も理解できなかった。

でもバックに流れている曲だけは、素晴らしかった。

コンサートは、後半「明日に架ける橋」ぐらいからアリーナ席総立ちになって大盛り上がり。私も歌詞を覚えてくるんだった。

1番最初に売れ切れたB席、2階3階の人たちが一番よく歌ってました。

6月23日

2009 年 6 月 23 日

今日は、久しぶりに晴れて熱くなったので、屋上に上がって雲の写真を撮りました。

環太平洋乳首文化学会

2009 年 6 月 19 日

今年も製作させて頂きました。

乳首を文化人類学的な観点より考察されております。

日本中にこんなにも多くの乳首学者の方々がおられ、また日々研究に勤しまれているとは、不肖私、寡聞にして知りませんでした。

先週、ちょうど「1Q84」を読みながら月と乳首について考察しておりました。

1Q84の中の乳首は、天吾を長く悩ませ続けるトラウマとして登場します。

本物の月と偽物の月がある様に、本物の乳首と偽物の乳首が・・・

いや違います違います、本物の天吾クンと偽物の天吾クンが乳首を渇望しております。

でもこの話は、このあと何も発展しないのです。

このような仕掛けが沢山あります。

何か不思議な迷路に連れ込まれたようで、どうもすっきりしません。

乳首学者の方々に、女性が多いと云うのもまたもう一つの迷路に入り込んだようで不思議です。

1Q84 読了

2009 年 6 月 16 日

やっとこさ読み終わりました。

いきなり青豆のキャラクターに違和感を覚えてしまいのめり込めなかった。

どのように解釈したらええんかよう解りまへん。

みんなもルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使}状態に陥ってるような感じがします。

やっぱし「阿Q正伝」的な読み方をするんがまともなのかなと思いますが、いまいち辻褄が合わない。

ジョージ・オーウェルも魯迅も実存主義的な人であります。

非難しようが抱きしめようがそこには確固たる愛があった。

でも今回の作品は、明らかに今までと違うように思います。

その小説の中にある言葉が出てきたらそれは具体的に使われなくてはならない。結構しつこく、繰り返されています。

打たれた布石は使われなくてはいけない。

そういった意味では、まだ始まりにすぎないようですから、続きを読んでからと云う事で。

上へ