うちの冷し汁
2009 年 7 月 19 日夏の暑い朝は、冷し汁が我が家の定番です。
前夜のうちにお湯に味噌を溶き、冷蔵庫で冷やしておきます。
朝たっぷりのゴマをすり鉢で擂り、冷しておいたみそ汁を入れ
これにたっぷりの大葉を刻んで、混ぜ合わせていただきます。
うちのばあちゃんが宮崎に疎開していた時に、ならってきたようですが
本来の宮崎の冷汁とはずい分違って、我が家のは出汁もとらないし、
ただ味噌とゴマ、大葉を入れるだけです。
食欲がなく、へばった朝に一番です。
夏の暑い朝は、冷し汁が我が家の定番です。
前夜のうちにお湯に味噌を溶き、冷蔵庫で冷やしておきます。
朝たっぷりのゴマをすり鉢で擂り、冷しておいたみそ汁を入れ
これにたっぷりの大葉を刻んで、混ぜ合わせていただきます。
うちのばあちゃんが宮崎に疎開していた時に、ならってきたようですが
本来の宮崎の冷汁とはずい分違って、我が家のは出汁もとらないし、
ただ味噌とゴマ、大葉を入れるだけです。
食欲がなく、へばった朝に一番です。
今日は、稀勢の里の勝ち。あの体と力で日馬富士のうまさが
あれば、最強なんだけど・・・・・。
がんばれ稀勢の里。
朝早く目が覚めてしまい、外で読書。大塚英志「物語論で読む村上春樹と宮崎駿」まだなんとか1Q84を読み解こうとしているのですが、難しいです。
大塚さんは、構造しかない小説だと云います。確かにジグソーパズルのように
ピースは型どうりにはまっているのに、絵は少し違うような感じがしてならなかった。
物語としての整合性が取れているような感じがしません。
だけどそのような方法論で何を表わそうとしているのか。私は、勝手に頭からこの本が日本社会に打ち込む楔だと思っていました。
大塚さんは村上さんがシャマニズム的な物語の語り部たらんところを目指しているようだ言います。
と云う事はその宣託を聞いて物語を再構築するのは、私たち自身だと云うことなのでしょうか?
私は村上さんを「ノルウェーの森」以降、あまり好意的に読んでは来なかった。
でも、イスラエルの挨拶を聞いて改めて、もう少し真剣に読んでみようと考えています。
7月22日は、東京でも部分日食を見ることができるそうです。
食の始めが9時55分38秒、食の最大が11時12分58秒、
食の終りが12時30分20秒。
最大で4分の3ぐらいが隠れるそうです。
ネガフィルムで作った日食観察メガネをつけた小河瀬さん。
のんびりその日その日の時間をただ、食み続けて居る様な趣ですが、イニュニックの工務進行を一手に担っている大黒柱です。
梅雨が明けて、今日は本当に夏らしい暑さです。
5月に新工場のお祝いにリョービさんにいただいた胡蝶蘭。
2か月たって、あと5つの花になりました。
ひと月前ぐらいから、朝出社すると、ひと花ずつ落下しております。
根元のほうから一つずつ。
まだ沢山あるうちは、そんなに気にならなかったのですが、二十を切ったあたりから、妙に気になり始め、いよいよ十を切ってからは、たまらなく不安な心持がして来て、捨ててしまおうかと思い始めていたら、
荒川さんも同じように考えていたらしく、さっさと鋏を入れて処分してくれました。裏面の幹のところに栽培方法が書かれていて真ん中あたりに「もう一度花を咲かせて見ませんか」と書かれています。
少し「ドキッ!」としてしまいました。
一体、私に咲いた花があったのか、またそんな予定がこれから先もあるのやら。
いえいえ、胡蝶蘭のような豪華な大輪と比べるから、「ないぞないぞ、あるはずもなかろうもん。」と卑屈になるんであって、一つ所で一つのことをずっとやり続けることも、立派な花であり、錦だと遠吠える私であります。