製本の設備

2018 年 1 月 17 日

昨日は昭島まで製本の機械を見に行って来ました。

イギリスmornagaの上製本機、アメリカc.p.bourgのインライン製本機。

日本のPUR製本機が少々、問題ありという事も段々判ってきて勉強の

ために海外製品も調べています。武骨で頑健だけど時間が遅いという点は

ありますが、それでもバインディングの歴史は随所に煌きを見せてくれます。

上製本表紙貼り機。都内の表紙貼り屋さん、数軒しかいない。

レイフラット製本機。フォトアルバムなどを作るアルバム製本機。

私だけなのか、この10年大量の写真撮っていますが一枚も

紙焼きしていません。ハードディスクが一杯になったらなんとなく

削除しています。過去と現在がずっと繋がっていて気持ち的に

すべてが現在進行形なのです。とめどなく続いている感じ。

一旦切れてくれたら、整理しようと云う気になるんですが。

世界と誰かと過去と未来と今と全てと。蜘蛛の糸の中心に私が

捉えられている。製本機の話のつもりが変なところに来てしまいました。

 

相撲

2018 年 1 月 16 日

昨日、危なげではありましたがやっと稀勢の里は勝ちました。

足腰が弱いので常に危なげです。だって自分で立てないんだもの。

相撲は小学校から好きでずっと見ていました。なんといっても曾爺さんが

村相撲に生涯かけて打ち込んで身上を潰した遊びごと、ひ孫の私も全

生涯をかけて見続けなくてはならない宿命です。と大げさなこと言って

ますがほとんど最近は見ていません。時々、稀勢の里をちらりと見る位

です。鳴門部屋の後援者の紹介でずっと新弟子募集のチラシ作って

いました。5年前、中学生向けのパンフレットにあるイラストを描いたら

とても怒られて出入り禁止になりました。関取がサングラスして紫のナイト

ガウンを着てブランディグラスを廻しながらソファーに腰かけてるイラスト。

「神事なんですから!」とおかみさんから説教されました。私からすれば

いまどきの中学生のノリはこんな感じだと思ったのですが。

取材に行った日、朝稽古を見て11時位から稀勢の里、高安関達と

ちゃんこを頂きました。稀勢の里関はとてもひょうきん。チラシに載せる

写真もおどけた顔ばかりで普通の笑い顔を中々してくれないのです。

高安関は穏やかな大きな温かさがにじみ出ているフトコロの深い人と

いう印象でした。良い部屋だったなと云うのが思い出です。

見学に行った日、高安関と高の山関がぶつかりげいこをしていました。

両者とも頭でぶつかって行くのですが、意地の張り合いなのか延々と

頭と頭がぶつかり合う、「ガツン、ガツン」が続きました。練習でここまで

やっているとは思いませんでした。

相撲はスポーツでしょうか?国技なんでしょうか?神事なんでしょうか?

私は、それらをすべて含んだ興行だと思っています。頭と頭がぶつかり合う

「ガツン、ガツン」は暴力そのものだと思いますし、それらを楽しんでいる

のは我々ファンなのだと思います。だけどそれを毎回毎回ずっとやり続け

るのは無理があります。身体が持たない。曖昧さの中に面白みを見つける

のが通と云うモノ。組織だってとても閉鎖的で外部の人は入れない。

中学卒業して相撲だけの世界で生きて来て興行も行う。マネジメントや

経営学やスポーツ医学、科学的に格闘技などを研究している人もいない。

昔からのファンはそんなこと望んでもいない。官僚天下りさせますか?

電通入れますか?理事会にそれらの人達入れてもどうにもならない。

相撲と云う興行そのものが矛盾を孕んだものだからです。つまり暴力

そのものを楽しむものだからです。でもまあ時代は変わりました。

もう少し、禁じ手を増やしたり、体重制を導入したり、もっとスピーディに

したり、いろんな工夫が必要な時代になり始めていると思います。

今場所の稀勢の里が心配、また負けだしたら引退になっちゃう!

 

私を生きると云う仕事

2018 年 1 月 15 日

なまはげと云う仕事がロボットやAIに代替不可能なように私と云う仕事も

他の物に代えることは出来ません。タレントと云う仕事の事を云ってるの

ではありません。効率や成果だけを追求したら私と云う存在はどんどん

消えていくのですが、私と云う人間が成した仕事だと考えるとそれはどんな

ロボットを持って来ても関係ないです。便利さと同じ平面で仕事やAIを考え

ている。だから不安なんでしょうが、自分を生きて行くと云う仕事は誰にも

代えることが出来ない私だけのモノ。

鬼子母神の踏切の近くに小さな祠が在って、ニッカボッカでリュックの

若者が両手を合わせて拝んでいた。自転車で通りながらふと思いました。

神さんに拝んでもしょうがない。拝むんだったら自分に拝んだ方が良い。

ご利益もおかげも自分の中にあるし、自分を助けてくれるのは自分しか

いません。とことんまで行ったときに、初めてどこかから手が差し伸べら

れると思うのです。自己責任論的な事を云いたいわけではありません。

自分の役割と社会の役割は当然違います。でも意識を変えて具体的に

動き始める人と社会の弥縫に目を向けすぎると人との違いは、雲泥の

差です。新年からなんとなく今年は勝負の年になるなと考えています。

印刷製本業として生き残るための思索は終りです。実際に始めなきゃと

思っています。他にどこにもないイニュニックと云う仕事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コマーシャルフォト2月号 秋谷さん

2018 年 1 月 15 日

去年、イニュニックで制作した秋谷弘太郎さんの「Let the Boogie Roll」が

コマーシャルフォト2月号に紹介されました。どちらかと云うと印刷と製本に

特化した企画ページの様です。ハッセルブラッドのデジタルで写した高精

細の画質をモノクロで。高精細と云うとFMなどを使ったりしますが、網が

細かすぎて潰れてしまいます。潰れないように刷ると濃度は浅くなります。

モノクロを黒をしっかり出しながら奥行きのある画像にするには、UVが

ぴったりです。インキの濃い黒と云うと女神のスーパーブラック、東京インキ

のスリーエイト、トーカのサタンブラック等ありますが、イニュニックでは普通

のインキで盛り盛りに刷ります。どんなインキも敵わないぐらい濃いです。

深いです。データは175線で少し明るめに作ります。これをインキしっかり

盛ると深くて濃い写真になります。

 

 

 

 

 

八丈島 ふるさと村 全焼

2018 年 1 月 10 日

1月8日午後8時45分ごろ、八丈島観光施設「ふるさと村」が全焼したそう

です。ここには、12月31日に訪れたばかりです。南海タイムスの苅田さんの

案内でした。先ほどメールしたら、ちょうど記事書いていたところでした。

玉垣石は溶岩のまだ熱くて柔らかい時に荒い波で転がり続けたから。

最初どれだけ波が荒いのだろうと思っていましたが、島の成り立ちを

知るとなるほどと考えさせられました。

梅雨時の湿度は100%超えるそうです。常に霧の中に居る様な感じ。

縄文から続く高床式です。

ここは母屋。ここは少し近代的な造りになっています。囲炉裏は夏でも

欠かせません。湿度を取るのは炭をくべるしかないそうです。ここは、

無人で鍵も掛かっていないのでここで何かやったのかもしれません。

入り口付近にある厠。ご馳走と糞尿が同じ価値があるというのが

サステナビリティな感じで良いですね。

近くの神社で初詣。とんど焼きのような跡がもうすでにありました。

とても残念です。島の生活などがとてもよく判る施設でした。

 

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