ライフ 本とわたし
2019 年 6 月 20 日 木曜日僕流にいうと本はわたしだ。僕の中には様々な物質が蠢いていて
ホルモンや思想やひもじいややりたいと云う分子がこんがらがる
ように蠢動している。そこに新たな物質を投げ込むと何か違う物に
変化する。概念と云うのは電気信号とか気体の様な目に見えないも
のでは無くてちゃんと食べ物と同じ分子なんだと思います。
僕流にいうと本はわたしだ。僕の中には様々な物質が蠢いていて
ホルモンや思想やひもじいややりたいと云う分子がこんがらがる
ように蠢動している。そこに新たな物質を投げ込むと何か違う物に
変化する。概念と云うのは電気信号とか気体の様な目に見えないも
のでは無くてちゃんと食べ物と同じ分子なんだと思います。
街道マガジン展は韓国でも開催されている様です。街道14人衆が撮り
斬ったウルサンの街角。ウルサンはプサンの隣で日本に近い所、韓国の
お寺巡りをしたいなとずっと思いながら中々腰が上がらない。せめて中
野で韓国詣でと行きますか?
朝、姪からメッセージが来た。直島に来ていて「おやじの海」の碑の写真。
おやじの海が瀬戸内だとは思いませんでした。ましてやアートの島、直島。
北海道当たりの荒れた海が演歌には似合うのですが、瀬戸内は演歌になる
のかどうか?父が亡くなる5か月前に初めて直島に父を連れてきた。平衡感
覚が狂うアート作品でこけたり、モネの絵の前で延々と芸術論を話し始め
た。そんなあれこれをいまだに思い出します。そのあと姪と合流して東京
まで来て、こんなところには住めないとすったもんだがあってそのあれこ
れを姪はじっと見ていて、直島と云えばあの夏を思い出すようです。
父の日に込められたメッセージを姪と私の関係も滲ませながら受け取って
初めてではありますが、「父の日」なるものの実感している今日なのです。
またまた、奥山さんの「庭とエスキース」
書いてくれたのは、飯沢耕太郎さん。
未明のロゴマークは、天地逆でした。音楽デレクタ―の外間がイメージし
ていたのは、音の出力記号。それが逆になって心のダウナー記号になりま
した。
見返しの絵は風に飛ぶコンビニ袋です。家財道具一切を入れていた
コンビニ袋を捨てた瞬間。
表紙のテントは野戦病院のテント。傷病者が寝かされています。
装幀はあばら骨が浮き出た様な薄上製風の仮フランス装。
帯カバーの絵は、ボレッタ・シリス-フー。霧が立ち込めた山の絵です。
去年の春に私が勝手にイメージしていた本からのメッセージ。
令和になって露わになり始めた世相かも知れません。