結婚 末井昭

2017 年 7 月 11 日 火曜日

この前、自分と結婚する人がいるというニュースが有りましたね。

この前の「自殺」から今度は、「結婚」 その前に奥さんの「たまきはる」

を読んでいました。先日、久しぶりに友人の子ども同士の結婚式に出ました。

兄妹ではありませんよ。友人達のそれぞれの子どもたちです。

葬式が続く年代と云うのが有りますが、結婚式が集中する年代と云うのも

あるのでしょうね?赤ちゃんの時から可愛がってきた子供同士の結婚で、

本心ではあまり気が進まなかったのですが、挨拶しました。何故か?

私も含めてですが遊ぶことが大好きなグループだったし、趣味にも

全力投球の仲間たちの子ども同士だったからです。男の子の方は、

頭良くて奨学金も免除になりました。良く勉強したり、良く遊ぶ、楽しい

時間を過ごすというのはとてもナルシスティックでエゴイスティックな

行いです。自分中心にモノを考える性向が出来易い。楽しむことに

長けた人格は、耐える事を得意とはしないです。それで「結婚して

自分を幸せにして貰えると思うのだったら、結婚なんかしない方が良いよ。」

などと云いました。結婚と云うのは好きになった人を幸せにしてあげる

ためにするモノです。長い人生、つらい時や苦しいときにこそ本性が

出るものです。でもその時こそ、初めの決意が生きてきます。

挨拶が終わって席に戻ってくるとかみさんが満面の笑みで私を出迎える。

そこがほんとに、ヤレヤレなところで「私を幸せにしようなんてこれっぽっちも

考えていない笑顔なのです。」まあ、女とはそういうものです。

末井さんもそんな感想です。米研いで、味噌汁作って、洗濯物を畳む。

結婚生活の幸せとは日常のルーティンの繰り返しの中に密かに隠れて

いるもので、愛だの金だの贅沢と云うものの中には有りません。

特に欲求に対する便利が最高レベルで生活を取り巻いている今は、私たち

自身が欲望そのものになってしまっています。そこは、常に意識していないと

どんどん、自我と欲望だけの怪物になってしまいます。

末井さんはキリスト教の他者に対する愛を基本に考えておられます。

仏教は、すべての欲望を否定するところに教義の基本が有ります。

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