オートメーション・バカ

2017 年 6 月 23 日 金曜日

ニコラス・G・カー著。2014年の本。一年ぐらい前、買っていたんだけどなん

となく積んどいた本。AI,AIと喧しいので、ロボット、オートメーション、人工

知能について勉強してみました。翻訳物の中では、文章上手くて読みやす

いです。タイトルが少し損しているかもしれません。この人には3バカシリーズ

が在って、第一弾「ネット・バカ」、第二弾がこれで、三番目が「ウェブに夢見る

バカ」の3本立て。関係ないけど、ちぃさい頃、アメリカ喜劇の「3馬鹿大将」が

大好きで見たくて見たくて堪らなくて、家にテレビが無かったけど、嫌がられ

ながら隣の家に上り込んで見させてもらっていました。内容はひどいもので、

今では絶対放映できない差別モノ。隠れファンは多かったはずですが、好き

だったと云うだけで人格疑われるひどい内容です。

労働の機械化は生産性を飛躍的に進化させて来ましたが、人間の能力と

労働そのものを奪ってきました。自動飛行技術はパイロットのスキルを低下

させGPSはイヌイットの帰巣本能を低下させ、自動運転は運転技術を低下

させます。エクセルは経理事務員を不要としネット販売は販売員を不要と

しました。女子の貧困は、パソコンとネットが原因です。3年前、20年ぶり

ぐらいでマニュアル車を買って運転し始めましたが、ハンクラになれるの

に2週間、スピードに合わせたギアを覚えるのに約1か月。オートマ車と

ナビは確実にいろんな能力を私から奪っていました。丸目ヘッドライトの

車(3・40年前の車)の流行は、オリンピックの流れで東京オリンピックの

時代にフォーカスした流行りかなと考えていたのですが、どうも違うようで、

私自身の事を考えても、反ネット、反自動化の流れ、現象ではないかと

考えます。ナビに頼らないで自分の身体を動かしながら運転して、自分の

目で実際の風景を観に行く、聴きに行く。労働や作業の自動化は、我々

人間の生きる意味まで問い直します。頭でっかちで頭だけですべて認識

しても生きていることにならない。労働は思考と忍耐と達成によって初めて

自分自身の存在意義をモノにすることが出来る。それらを端折ったら自分

自身をもそこでは必要ないです。考えると云うことをしないでスマフォに

ばかり頼っていれば多分、若年性認知症が多発する可能性もなくは無い

です。頭は使っていないと劣化していきます。

グローバリズムの行き詰まりとオートメーションの進化は全然関係ない話では

ありません。実際にベトナムに工場を持っていた繊維関係の会社が日本国内に

戻り始めています。向こうでの人件費の高騰もあるようですが、ロボット技術の

進化もあるでしょうし、また高品質化へのシフト、きめ細かいサービスへのシフト

などもこれからの戦略でしょう。労働者が望むと望まざる関係なしに営利企業は、

ただひたすら効率性と利益の最大化を第一に考えます。新しい技術が見つかり

オートメーションになれば人は要らなくなります。派遣社員はロボットが出来る

までの繋ぎに過ぎません。がっぽり稼いでも税金はパナマに云っちゃうんで

すけどね。世界中で人の価値が貶められています。後進国の政治体制を

じっくり育てて自分たちの陣営に組み込む、それがゆくゆく貿易、産業を

発展させるというのが今までの歴史だったのが、人材が購買力にならない

労働力にならないという、大きな価値転換が現在の世界中の荒廃に繋がって

います。難民となって生活できる国に行くしかない。みんなが真実を知る道具を

持ってしまったので資本家は面倒くさいことをやる気にもならないし、ジャスミン

革命やアラブの春を心配するぐらいならロボットの方が良いのかもしれません。

買うお金を待たない人たちばかりでは、ロボットに商品つくらせても意味はあり

ません。行き過ぎたオートメーション化はどこかで壁に当たると思います。

しかし、ロボットの問題よりも人工知能ですね。人間が人間である存在理由。

「人間は考える葦である。」を放棄してしまえば人間では無くなります。

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