ハンナ・アーレント
2013 年 11 月 18 日 月曜日岩波ホールは敷居が高かったのです。
教条主義的とまでは、言いませんが、ロックンローラーとしましては
こんなところに出入りするようじゃあおしめーよぉと考えていたのです。
気になる映画はあったのですが、見に行くことはありませんでした。
今回、新聞の社説まで取り上げていたので長年の自戒を解いたのです。
アイヒマン、ユダヤ人虐殺責任者の裁判の話です。ハンナはこの役人は
命令を遂行しただけだといいます。それが物議を醸します。全体主義に
おける個人の責任というのは、日本においても考え続けなければいけな
かった問題ではあります。ハンナはファシズムには個人の責任は無いと
までは言わないが役職を全うしただけの役人を罰しただけでは、解決には
ならないという立場をとります。
アイヒマンも「私は、ただ真面目に命令を遂行しただけだ」と云います。
全体の罪ではあるが、それを行使するのは個人です。そして個人の
意志の集積がファシズムです。そして罰は個人に与えられます。
「凡庸な悪」という言葉で済ますには、この問題はあまりにも大きい。
私たちには、種の保存の本能があります。生命保存の本能もあります。
この生命維持装置の邪悪な本能を「凡庸な悪」というのでしたら、それこそ
これが原罪というものでしょう。本能というものを持ち出して擁護するつもりは、
有りませんが、ここに自己正当化の心理が働くのだと思います。無関心と
無思考。戦前の日本では絆と因縁。これが、大きな推進力になりました。
全体における個人の役割と働きをもっと掘り下げて考えないと何度でも同じ
過ちを繰り返します。
ハンナ・アーレント。煙草飲みです。ずっと吸い続けています。寝ても覚めても
吸っています。この吸い続ける煙草を「思考」と言ってるのでしょうが、
「煙草」では、少し弱い。所詮煙になって消えるだけです。悪はいつだって
具体的なのです。