原子力の安全保障
2012 年 6 月 29 日 金曜日ドイツ負けてしまいましたね。
2点目入った後の観客席にいたドイツ人サポーターのご婦人の目から
泪が一筋こぼれ落ちましたが、本当にその通りでした。少し偏った
笛でした。でもイタリア、バロテッリの2ゴールはインチキも何もない
とても素晴らしいゴールでした。21歳、新しい才能を見つけた。
今日の東京新聞の「こちら特報部」は原子力基本法に付け加えられた
安全保障についての文言について。原子力発電と云うのは電気も作るけど
原子爆弾の材料のプルトニウムも作ると云う事です。原子爆弾は大学生でも
作れる簡単なモノ。2種類のウランをガッチガチに固めて容器に入れて、中性子
を激しくぶつければ爆発するというものだった筈。私小学校の時、親に原子力の
本を買ってもらって少し勉強してました。小学生市内作文コンクールと云うので
私の作文が選ばれて出してくれるというのですが、先生が言うには「もう少し
纏まり良く書き直しなさい」とのこと。原子爆弾で死の灰が降った広島、長崎の
人たちの悲しみと苦しみを忘れてはいけないし、少しでもその苦しみを癒して
あげるためにも漫才師になって多くの悲嘆の日々の中に暮らす人々を笑わせて
あげたいと云うようなことを書いたのです。それがその本を読んでいくうちに
原子力の素晴らしさ、消えることがない永遠の火と云うようなものに魅了されて
しまい、何だか論旨が良く分からない、原子力を称える文言も入ってしまッた
文章になってしまい、私のは没になってしまいました。本当に阿呆な子供でした。
原子爆弾で安全保障や国防を考えるのだったらそれなりの手順が必要だと
思います。大義や正義のない国防は正論にならない。戦争放棄が国民に約束
したことだし世界に宣言したこと。姑息な策略を計ると本流にならない。
広島、長崎の人たちの税金で原子爆弾を作ると云うのは、道義上許されない
事でしょう。