シベリア鉄道

2020 年 7 月 10 日

日本経済新聞の文化面に杉本博司さん連載の連載が在ります。

今回は留学したアメリカから休学してシベリア鉄道でロシア行って

リスボンまで行って、100ドルの飛行機便を探してニューヨーク、ロ

サンゼルスの世界一周をした話を朝読んでいたのです。そしたら朝

10時になって目のきれいなお若いお客様がお二人いらしたのです。

旅行記の本を造りたいとのご相談でした。内容を訊くとやはりナホ

トカからシベリア鉄道に乗って3人でヨーロッパに行ったと云うお

話でした。同じ日に同じような話が重なっていたけど、私の中にも

シベリア鉄道は在ったのです。現在夢中になっている武田百合子さ

んの名著、「犬が星見た-ロシア旅行」これはやはりナホトカから

泰淳さんと竹内さんと銭高老人、百合子さんのシベリア鉄道の旅ら

しいのです。まだ読んでおりません。注文はしているのです。10日

前に。まだ来ない。「あの頃」は読み終わって頭の中はシベリア鉄

道で溢れんばかり。そしたら本が来ないで違う物がやって来た。

「求めよさらば与えられん」ですね。

小川徹と云う人の随筆

2020 年 7 月 7 日

ある夏とまった姫路のホテルの女中さんと昼間お城の下の安ペンキの

宿でデータしたとき、彼女は事前にいや服を脱ぐ前に、椅子に座って

じっとしているので不安になってせかしたが「待って。煙草を一本吸

わせて。この気持をしみじみ味わいたいの」といった言葉は一生忘れ

られない。彼女は不幸な結婚の離婚後二年、はじめて男と接すること

になったのだった。嬉しいときには歌なんか間に合わない。一本の煙

草が必要であった。

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昨日、「タッチミーノット」について書いていて思い出した「あの頃」

にあった武田百合子さんの引用。とても味わい深い文章です。異性を

見る時スタイルが良いとかチャーミングだとか外側について言いがち

ですが、本当の性交は皮膚の下にある性衝動や置かれた状況がお互い

を突き動かす。行きずりでも嬉しいと云うのが悲しい。煙草が要る。

映画 Touch Me Not 

2020 年 7 月 6 日

「あの頃」映画編。百合子さんはテレビと映画は良く観ている。

サスペンス、ホラー、殺し合い、やくざ者等派手なアクション

ものがお好きなようですが、ポルノ映画3本立ても良く観ている。

自宅で文士仲間のご夫婦を招待して「ブルーフィルム」等も見て

いる。これは観ていると云うより、正直に書いているという方が

正しい見方でここが武田百合子さんの文章の魅力なんですね。あ

けすけです。「だってしょうがないもん、あたしたちはこんなで

す。」と云ったところ。文学を突き詰めるとはこう云う事でも有

るんですね。とっ、武田さんを出しにして私の映画の話。

土曜日に「タッチミーノット」を渋谷で観ました。深い処に降り

て行けそうだったので。障害者の性、トラウマで心が解放できな

い性、そして独自のフェチズムに囚われた性。ジェンダーとして

の性は多種多様、千差万別。そこに様々な性の動機が加わってセ

ックスは無限に花開く。小学生の時に読んでいた江戸川乱歩は、

充分に性の多面性を随所に現していましたが、ルパンやシャーロ

ックホームズも事件と捕獲などに性の隠喩が隠されていた。ミス

テリーモノのすきが高じてミステリマガジンを読むようになりま

したが在る時「SMマガジン」を間違えて買って、SMの世界を

知ってしまった。知ったからと云って実践していた訳では無いの

で念の為。20代で知った、コリンウィルソン、澁澤龍彦はセク

シャリティがアートに昇華する場面を数多く見せてくれた。10

年前知った坂詰信吾さんは、生命の発現者に対する根源的な性の

介護と云う究極の議題を提示してくれました。心に壁を作るのは

異物が入って来るのを防ぐ事ではありません。自信の心の中に在

る欲求が奔放に飛び出さない様にす為と云うのは、ある青年の言

葉。怖いのは自分自身なのです。「私に触らないでね。」と云い

ながらすり寄って行くのはローラです。ホスピスの父親に何かを

投げつけて、父親が自ら点滴を抜く?(多分)ここからローラは

シャウトし始める。


荻窪の店

2020 年 7 月 3 日

東京に出て来て最初に住み始めたのが荻窪でした。6年住んでいました。

ここで東京の味を学びました。ラーメンは春木屋、丸信、丸福。蕎麦は

本むら庵、鰻は東家、鮨は金寿司、末廣寿司、もつ焼きは大黒屋、かっ

ぱ、中華はふんよう亭、ジャズのいわしの目。古本屋も良い店が一杯あ

った。古くから荻窪は、文士村だったし愛人村でもあった。近衛文麿の

家も在った。40年前の話だけどまだ残っている処は多い。大黒屋とい

わしの目と末廣寿司はもう無い。しかし未だに荻窪に通っているのです。

本屋のtitle、荻窪キムチ等は最近行き始めた処ですが、年に一回食べる

鰻は東家ですし、最近復活させた寿司屋は金寿司です。アルバイトで貯

めた5千円を握りしめて半年に一回通っていました。洗い立てのジーパ

ン履いて白いシャツの皺を伸ばして、風呂に入って身ぎれいにして一端の

大人のふりしてカウンターに座って酒を飲みながら、知ったかぶりの魚の

話をしておりました。まだ若くて優しいご夫婦が全て承知の上でお相手

して呉れた。今から考えたら顔から火が噴きだすような思いです。今年

の2月に昼間っから散々、つまみと酒を飲み散らかして二人で9000

円しか取らないので幾らなんでもと少しよいしょしています。もうお二

人とも70歳を越えていると思うけど大みそかも正月三が日も営業して

いると云います。「正月の出前はもうしないのよ」と云うけど。カウン

ター9席だけの小さなお店ですが、頗る気持ちの良い時間が過ごせます。

若い頃世話になって、年とっても世話になっていたんじゃ申し訳ない。

荻窪5丁目 荻窪南口仲通り商店街を5分ぐらい歩いたところ。

2020 年 7 月 3 日

小さい頃風邪を引くと裸にされて背中におばあちゃんの口からお

神酒を吹きかけられ加持祈祷で風邪を治す家でした。爺さんは、

一斗の酒樽を用意して同僚3人で飲み比べをして半分近くを呑

んでしまう人です。12才になったら元服じゃと云って酒を飲

ましてくれる家でした。家畜の様に殴られ続けていた暴力もぴ

たりと止まりました。そんな事が嬉しくて酒が切っても切れな

い習い性になりました。あらゆる処に酒が顔出す家なのです。

先日の日曜日の夕方の本の世界に引きずり込まれた処で、「あ、

やばい酒だ」と思って冷蔵庫の酒瓶に手がかかった処でポロポロ

涙を落としてしまった事が、その様な性分を改めて考えるとこれ

は殆んど依存症だなと思い至りました。なんだかんだで酒で誤魔

化して来ている。我が家はほとんど同じものを食べ続ける家です。

1年に1000回食事をするとしてあと20年で、2万回の食事

をしてあの世に旅立つ。毎回違う物食べようか?と云う話をした

ばかり何ですが、酒の話の方が大切なことかも知れないなと思い

始めています。

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