小学時代にあらゆる新興宗教の教義に触れてしまいました。教わった事
は消えないのですね。私の心情の中核をなして仕舞っています。時々、
お客様に指摘される事があります。中学校になってからは、共産主義に
かぶれ出してそれらの教えが長く、影を潜めていたのですが、生死にか
かわる様な事になるとその辺りが出て来ます。エスパーハツを新興宗教
と云いましたが始めは、龍光徳寺(佐賀、基山)の中山身語宗から始ま
ります。始めは御師でした。その内お堂を建ててくれる人がいて教祖的
なモノになって行く。父が中国から帰ってきて、山口県に引っ越してか
ら、金光教田布施教会に行くようになる。あの田布施です。北九州の海
賊がそこに通って来ていてポンと寄付をして立派な教会が建ちました。
日曜日の朝は毎週そこに通っていた。「おかげは我がこころに在り」と
云うのは今でも良い教えだと思っています。兵庫県に移ってからは岡山
の本部に春と秋一泊で行っていました。岸さん佐藤さんはいつも金光教
田布施教会に来ていたと云います。母とおばちゃんは、ハツに心酔して
いていつも一緒に通っていました。宗教的な家で育ったせいか父も中国
で受けた傷、精神的外傷を宗教的なモノで癒そうとしました。西田天香
の一燈園、それから一番感受性の強い時期に訊いていたのが谷口雅春の
「生命の実相」床の間に全巻そろえて読んだところをまでを滔々と喋っ
ていた。次が道元の「正法眼蔵」これもズラッと買ってきて読み聞かさ
れたのだがこれは難しかった。本人も良く理解していなかったと思いま
す。小学生に西田幾多郎の「純粋経験」が理解出来る訳が無いのに、狂
ったように怒るのです。この辺り、小学校6年生ぐらいから殺意を憶え
る様になり、自殺する事ばかり考えていた。東京に出て来て離れる事に
よって解放されると同時にこのようになってしまった原因を考え出す。
理で話せば理解はしてくれる。生長の家の教えは右翼の人が多い。も
っともどこまで読んでいるかわ判りませんが。東亜同文書院時代には
京都のオジサンがK玉Y男さんと同じ事務所に居て腹を空かせていく
度に何かと面倒を見て貰っていた。「ヤマツミ」と云う名前に反応し
たんだと思います。父は合っていないけどM下Kノスケさんも出入り
していた。父は、完全な軍国主義者、民族主義者の人でした。私と父
との戦後はひたすら平和と友愛が社会の基本であると云う事を話し続
ける事。母の介護が始まってから父は変わりました。ずっと叩かれ続
けていた母が逆襲を始めたのです。ここで変わり始めた。それでも幼
いころに教わった事は消えないのですね。安倍さんが撃たれて2時間
後福山のおばさん(88歳)が電話を掛けて来ました。当たり障りの
ない事から始まりましたが何が訊きたいのかは、何と無く判っていま
した。一家全員、幸福の科学の信者です。安倍さんが大好きな家族な
ので誰がやったのか知りたかったのでしょう?そんなこと知る訳が無
い。30年前、別の親戚のオジサンも壷買ったとか言っていたけど、
私にとってはどうでも良い事。買える力があると云う事は、稼ぐ力が
あると云う事なのです。宗教をやる人は無学で貧乏な人と云うイメー
ジを持っていませんか?壷売ったり、合同結婚式に出たりと云うのは
末端の人達です。ガチノ信者は官僚を目指しますし、朝日新聞、NH
Kを目指します。公務員、学校の先生も(もちろん大学も)そうです。
反共産主義を徹底的に国全体に広めるのです。勿論、共産党員も同じ
ことを考えます。そう云われれば阿部さんを一生懸命擁護していたの
は誰だったかと判ると思います。じっと静かに黙って階段を上がって
行くのです。壷の金額など大したことは無い。国家予算の方が遥かに
大きい。国葬をしたいと云うのはその様な人たちなのです。