死んだあと
2014 年 8 月 22 日骸骨で残りたい。
火葬はいやだ。
骨格標本みたいに針金でつないで
玄関先に立っていたい。(どこのやぁ!)
「ただいま」って言われたら、
下あご、カタカタと云わせて応えたい。
(機械仕掛けで出来るはず。)
髑髏でも良いです。
商品として売られていくのも良いですね。
骸骨で残りたい。
火葬はいやだ。
骨格標本みたいに針金でつないで
玄関先に立っていたい。(どこのやぁ!)
「ただいま」って言われたら、
下あご、カタカタと云わせて応えたい。
(機械仕掛けで出来るはず。)
髑髏でも良いです。
商品として売られていくのも良いですね。
今朝、歩いてくる途中、池袋駅にある西武デパートの開店前の
下りたシャッターがきれいになっていました。昨晩やったようです。
徒歩通勤を始めた、5・6年前から、その閉まったシャッターに堆積したホコリに
気づいていました。昼間はあれほどきらびやかに飾り立てて、一生懸命サービス
していても早朝と夜の顔がこれでは、台無しだなとずっと思っていました。
あれだけたくさんの人たちが働いているのに、誰もこの事に対して問題提起しない
というのは、組織そのものが終わり始めている証拠だとも考えていました。
しかし、これだけのデパートが10年近く、シャッターの掃除をしないという
のは・・・・。明治通り100メートル。高さ5メートル。ずっとホコリだらけ。
イニュニックでは週初めの朝は、30分早く出て来て全員で会社の掃除をします。
週の初めを掃除からというのは、ちょっと違うのではないかなとも思われますが、
これは会社を綺麗にしているのではなく、働く私たちの心を綺麗に新しく
リセットする作業だと考えています。人が集まって同じ場所で同じようなことを
何年も続けると必ず汚れます。それはしょうが無い事です。しかし、決め事で
そうならない様にする方法は、いくらでもあると思います。
山住を名乗る人々は、ほとんどここを出自とするそうです。
でやってきました。静岡県浜松市水窪。
北浜松から天竜川沿いを分け入ります。どこまで行っても
山々、山々。人が住めそうなところがありません。
ココは、人が住む場所ではなく、山が住んでいる場所なのかもと
思い始めたその先に、急斜面にへばり付く様に散見する家々。
土砂降りの雨の中、つづら折りの道はどこまでも続きます。
水窪から山住峠に向い、登りきったところに山住神社はあります。
霧に覆われた境内
樹齢1300年。伊勢湾台風で倒れた杉で確認済み。
標高1,100メートル。1300年の大杉に囲まれた山岳信仰の山住山。
愛媛県の大三島の大山祇神社より遷祭して祀ったもの。1300前。
16紋の菊のご紋、三つ葉葵があります。
基本弥生、三河よりの神社だという事でしょうか?
去年読んだ「脊梁山脈」という本の中で、福島の木暮という人が
復員列車の途中、「豊川」で降りた。飯田線。諏訪大社?
天竜川というのは縄文と弥生が拮抗する分水嶺だと思って
いたのです。そして南アルプスの南端に位置する、山住峠の
山住神社こそ縄文の最前線と考えていたのですが、ちょと違うみたい
ですね。
ヤマハの会長と3人の社長がこの親父さんの旅館に泊まりに来た。
料理に手を付けないでうだうだ喋ってるもんで、
「折角出したんじゃけぇ~、早う~、食べんにゃ~、不味ぅなるがぁのぉ。」
というと会長怒り出した。ワンマンじゃけぇー。それでも、翌日帰るころには
「ありがとう」と云ぅて帰って行った。それから、付き合いが始まって、家に
招待してくれたり、竹富のハイムルブシに呼んでくれたりした。
というような話を滔々と喋ってくれました。
ただの湧水です。ダーダー、流れています。とても美味しい。
このトラックに20リッター、20本積んだそうです。
リッター100円として、4万円です。
また、お金のことを考えてしまいました。
山住が石積み
山住の大神は、戦の神様
8月16日、水窪の町の夕暮れ時、家々の玄関先では
石の上に小さな木の櫓を組んで燃やしていました。
開け放たれたある一軒の仏壇は極彩色の飾り物で
壁一面覆われていて、此処の風習はあまり他では
見たことが無く特別の物のようです。