ヒーロー

2014 年 11 月 10 日

2002年のギャンチュン・カン北壁登頂以降の山野井さんの山行は

あまり注意してみていませんでした。もう終わったという想いが

強かった。あれだけ手の指や足の指を無くして岩に挑むなんてことが

出来るはずがないと思い込んでいました。

だからこそ2007年にグリーンランドの岸壁を登っている姿をテレビで

観たと同時に感激のあまり雨だれの様な涙が下にぼたぼた、ぼたぼたと

落ちて行った。山野井さんが山で死んだってこんなに泣き方はしない。

ギャンチュン・カン北壁以前は細かく山行記録は追い続けていましたが、

それ以降はほとんど見ていませんでした。グリーンランドもテレビ局が

絡んでいたので、そうかここまで戻ってきたかという感激とは裏腹に

どこか冷めて見ている自分がいました。指を無くしてからの山野井さんが

凄いです。グリーンランドの時は不意を突かれたけどそれからの12年は

凄いですね。熊に食われかかっているのを撃退して命をつないで、

崩れた顔のまま山に挑み続けています。ほとんど昔と変わらない

レベルまで復活しています。

私にとってずっと長くダントツのヒーローは輪島功一さんなんです。

三度世界チャンピオンに返り咲いたボクシングのヒーロー。

負けても落ちても這い上がってくる不屈の精神に弱いみたいです。

でもこれは別に私だけじゃないか。輪島さんと並んだか、超えたかな

とも思います。

昨日、あさのワイドショーで先週の実業団駅伝のニュース映像がありました。

一位はコニカミノルタです。2位が日清食品。

かみさんが「曜ちゃん、どうしたかな」と云いました。「さあどうかな、今年の秋

結果が出ないと首らしいけど・・・」早稲田で活躍して日清に入った曜の字は

いきなり足の故障でずっと大会に出れない状態で、練習しては痛め、無理を

しては壊すという事を繰り返していました。私の中ではほとんど終わりかけ

ていました。「ちょっと調べてみてよ」いう言葉にも面倒くさくて放って

おいたのです。それが夕方になって少し調べ物があってパソコンを

立ち上げたついでに日清を調べたらなんとなんと走っています。

5区を9位で走っています。復活というレベルではないかもしれませんが

とにかく走っている。大したものだな。ガンバレ、曜の字。

グッドデザイン金賞

2014 年 11 月 6 日

先月、編集長の高橋さんから「グッドデザイン大賞」ノミネート最終

9商品に選ばれたという連絡は頂いていたのです。

11月4日、最終プレゼンを行って大賞が発表されるという段取りでした。

今回の「東北食べる通信」はメディアとしては初の事で、産業と流通の

仕組みと新聞がセットになって商品として届くというのは全く新しい試みで、

地方創世という旗印のもと「これはひょっとしてひょっとするよ。」と期待

して居ったのです。昨日、今日とご連絡を頂けなかったので、ネットで

調べてしまいました。結果は一回目の投票で2位。1位と2位の決選投票で

2位確定。残念ながらグッドデザイン大賞は惜しくも取れませんでした。

でもグッドデザイン金賞です。しかしこの試みが、多くの人たちに評価された

のは大きいと思います。

ナチュラル系のスーパーで生産者の顔写真付きの野菜が売られているのは

昔よくあった売り方ですが、食べる通信は生産者の生活や生き方、作物の

拘った作り方、その思いまで丸ごと一緒に商品として届くというのは、命が

繋がるという事そのものなのではないかと思います。イニュニックという

社名を私が付けたのは、これは新潮社から出ていたマザーネイチャーという

雑誌に連載されていた星野道夫さんの文章からもらったものですが、

人と人とが人と動物が人と植物が人とモノが繋がって人間という命が

立ち上がる、その関係性が命そのものだというイニュニック(生命)の考え方

でもあります。印刷屋として日々、行っていることは、「食べる通信」さんと

同じことを行っているつもりです。だから余計にとってほしかったなぁと思い

ますが、金賞でも充分でしょう。11月号は秋田のハタハタです。

http://taberu.me

グッドデザイン大賞5位は、「シグマdp2 Quattro」でした。

二つの顔

2014 年 11 月 4 日

京都の博物館に展示されている運慶作の仏像は

右から見た時と左から見た時では表情が違うそうです。

理知的な凛とした表情、温和な優しい表情。正面から見た

顔は、目の位置を左右高さを1センチずらして多面的な印象を

与えるように計算されているようです。般若のお面も少し上から見た

表情と下から仰ぎ見た表情とは違います。鬼と菩薩です。

最近使っている財布は、ジャバラになっていて名刺サイズのカード

等を入れるためのポケットが一杯ついているもので紙幣はすべて

4つに折り曲げて納めています。支払う時は小さく折りたたんだ

紙幣を広げながら払うので、どうにもサマにならない。

なけなしの金をしぶしぶ払う渋ちんに見えます。まあ、それはいいとして。

紙幣を折りたたむときは、諭吉、一葉、野口がちゃんとわかる様に顔のところで

折り曲げるのですが、鼻のところで折り曲げると表情が二つあるのに

気づきます。左野口は意地悪で右野口は優しい。右諭吉は聡明で

左諭吉は頑固です。一葉さんも聡明さと優しさがそれぞれに見受けられます。

漱石も真ん中で折り曲げると右と左、全く違う印象です。

これは、肖像画を描くときの基本でしょうか?人の顔は左右非対称が

当たり前といわれています。顔として出来上がったその中にその人の

両面がすでに表れているのか?それとも肖像画のテクニックでそのような

そう反する表情を作りこむことによって多面的な全体像を受けびあがらせ

ようというという画法なのか?表現というのは深いなと思います。

昨日、有るおうちでそこのおじいちゃんに挨拶したら、笑いながら

「おぅ、山梨のぶどうじゃないか」と言われました。目に険が有ったので

「どういう意味だろう」と少し気になって考えていたのですが、判りません。

それが、今朝、朝方の3時起きた瞬間に「種無し」という言葉が浮かんだのです。

ひどいことを言うなという憤りより、夢の中でも人間は思考するのだなという

そのことに吃驚してしまいました。無意識の中でその表情と言葉にとても

どす黒い悪意を感じ取っていたのかもしれません。4年ぶりに会ったので

こちらはすっかり忘れてしまっているのですが、バカな冗談を云ってしまった

のでしょう。人間というのは複雑です。我々が認識できてるのは上澄み

だけで奥深い心の活動は色んな感情が浮かんだり消えたりマグマのように

どろどろに溶けてのたうっているのかも知れません。

尾仲浩二 またたび 2

2014 年 10 月 28 日

写真集  MATATABI-2    SHORT TRIP AGAIN

前回の「LUCKY CAT」もそうなのですが、どうしてこんなに

懐かしいのでしょうと聞いたことがあります。尾仲さんは単純に

同じような風景を見て来ただけでしょうと仰います。

確かに同じような道を歩いてきています。同じ福岡県が本籍ちで

小学2年生、3年生で生まれた町を離れて、父親が同じ鉄鋼業に

従事していた。尾仲さんのお父さんは新日鉄の正社員で、うちの

父はあんこを引き連れて全国の溶鉱炉を組み立てる派遣業の

親父でした。そんな親の元で同じような風景を見て、同じような

場末であきらめ切れない夢を温め続けていたようなのです。

高2の夏休みのアルバイトで身体中刺青だらけの鳶の人たちと

一緒に風呂に入っていたのは新日鉄の新しい君津工場で、

その3年後に尾仲さんはそこで働き始めます。

尾仲さんがせいだか泡立ち草というシリーズをずっと続けてきた

その草は、君津で水島で堺で広い敷地のそこここに見ていた

花なのでした。

懐かしいという感情だけに収まらないある場所にそれらの写真は、

連れて行ってくれる。やっぱりそれは、必死だったにしろ剥き出しの

感情がぶつかり合っていたにしろ、それを楽しんだり、面白がって

いる自分がいた場所なんだと思います。

尾仲浩二写真展 10月29日~11月2日

宮崎県立美術館県民ギャラリー2

げんぺさん

2014 年 10 月 27 日

母の実家の跡取りが弟の源平さんでした。

小さいころからその名は月に何度でも母の口から発せられ、

父も何か塞いだ物言いで受け答えをするのです。

げんぺさんの名は、私の中に何か甘酸っぱい甘美な存在として

記憶の底に溜まっていったのでした。

げんぺさんと同じ大分で育ち15歳まで寝小便していた赤瀬川原平さん。

機会が無くて行けなかったけど、ほんとに「美学校」で学びたかった。

でもゆるいヌケカタと特異な視点、飄々とした佇まいは私の先生でした。

そういえば、げんぺさんの七回忌は、連絡無かったなと今思い出しました。

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