新温泉マーク

2016 年 12 月 9 日

今までの温泉マークが慣れない外国人に温かい食べ物と

間違う恐れがあると云うので、人が入っている温泉マークにすると云う。

それはどう見ても人間を茹でているように見えるわけです。

水浴びやシャワーの習慣しかない人たちにとっては、

複数で大なべでぐつぐつ、茹でられるというのは調理に見えるわけです。

見間違えるというのは、どのような見方と云うか、見方そのものは自由なので

どのようにも見間違えると云う可能性は排除できない訳です。

第一、食べ物を熱い、冷たいという2択で選ぶ人と云うのはあまりいない。

詭弁なのかこじつけなのかどういう意図でこの話が出て来たのか?

さっぱりわからない。

温泉を温かい食べ物と云うのであれば、それはその通り

温かくなる心の食べ物です。

Robert Frank:Books and Films,1947-2016

2016 年 11 月 25 日

東京藝術大学大学美術館 陳列館

ゴッホを見た後、ロバート・フランク展。こちらは若い人たちで

大盛況。無料という事もあり一時間ぐらい並んでやっと入場。

先週からぎっくり腰をやってしまって痛みに耐えながら、ひょこひょこ

歩いているのですが、ゴッホで1時間半、外で1時間並んで冷えてしまって

漸く入った頃には痛みがぶり返してきて、混雑でいきなり人にぶつかれるのが

怖くてさっさと退散。痛みと心の弱さとタブロイド紙に荒々しく印刷された

写真などが全て重なって奇妙に効いた。じんわり効いた。居た堪れなくなって

ホウホウの体で会場を後にする。結婚記念日で二人出かけた休日でしたが

しんみりしてしまいました。

ゴッホとゴーギャン展 

2016 年 11 月 25 日

ゴッホが描いたローソクを置いたイスを見て、おやっと思ったのです。

「ゴーギャンの椅子」ローソクの位置が微妙です。

一時期ゴッホとゴーギャンは一緒に住んでいたと云います。

ゴッホの絵は有名なひまわりや自画像などを雑誌で見る程度で

その画業の全体を見たことはありませんでした。後知っていたのは、

自分で耳切ったこと、その少しあとピストル自殺したこと。

初期のころからの作品を順番に見ていくとなんとなくゴッホの悩みが

見えてきます。絵の対象が身の回りのものだったり、自分自身だったり。

そしてそれらを燦然と輝く希望の様に描いている。多分そこにみんな

惹かれるのでしょう。それぞれ違うけど悩んでいる根本は同じです。

今回初めてゴッホっていいなと思いました。

「想いアラタに」東京都美術館

2016 年 11 月 21 日

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2016年11月26日(土)~12月6日(火)

東京都美術館ギャラリーA

観覧料|無料

開室時間|9:30~17:30

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想いアラタに、工芸に触れる 数多に広がる表現の中、改めて共有の

原点を確かめ合う 素材のとの対話から自然を尊ぶことを知り

受け継がれる技術は、人と人との繋がりの中で高められてきたのだと

気付くとき手の中に喜びと希望を感じて自らの想いを作品に込める

永きにわたる工芸の奇跡の先へアラタな想いを今日も繋いでいく。

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この展覧会は、東京都美術館の都美セレクショングループ展の公募に

よって選ばれた工芸作家のグループ「月火水木金土日」による企画展です。

ミニマリズム

2016 年 11 月 21 日

断舎利とかミニマリズムは、時代の流れの中で定期的に出てくる言葉です。

不景気で物が売れなくなると広告業界は言い始めます。買わせる

ためには捨てさせる。動かすためには、枯渇状態を一時作る。

そうするとまた何かを消費し始める。いつもの手です。禅的な生活に

憧れつづけた私は、何回騙された事やら。雑多な欲望を何とか捨てたいと

思い続けて来たけど、今は、自分はそう云うものだとある種諦念を持って

開き直っています。

消費の対象が物から事になって、次は心だというのはこれからの大きな流れで

あるのは確かです。でも心より物のほうが単純で簡単なのです。ミニマリズムと云う

シンプルを云うのでしたら、断然物です。物は心を仮託したもの、ごちゃごちゃ

悩むこともないし、重い怪物になることも無い。物でも事でも心でも消費をし続ける

だけの循環から、何か具体的な形に心を寄せるという、断舎利もあるのだと思います。

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