パジャマのまま居間に行っても暖房は入っていなくて部屋は寒いまま。
「寒いんですけど」と云うと「寝ていた格好で布団から出てきたら寒い
に決まっているでしょ!」と雪山に行くような格好の奥さんは、ガス台
の前で鍋を突っついている。「部屋を暖める必要なんかないのよ。寒け
ればコート来たらいいのよ!」と我が家は、雪山生活が始まっています。
家に帰ったらTシャツ姿でくつろぎたい派の私は、どうにも納得が行かな
いのですが、光熱費が高いのだから仕方がない。会社でも使わない電機
は消すようにとお達しを出している当方としては、従わざるを得ない。
朝からニュースでは値上げ、値上げと誰の大便なのか連呼しているので
そんなに言いすぎたら、買い控えになるに決まっている。消費税上げら
れないのでモノの価格を上げれば消費税を上げたのと同じ事、と云えば
その通りなのだが、庶民には買わないという抵抗があることをとんとお
忘れでないですか?と云いたい。このコロナ禍で我が家には食料の備蓄
が結構ある、先月から賞味期限の近づいた鯖缶をいろいろ工夫して食べ
始めています。暖かくなるまでに、一回全て空にしたほうが良いかなと
話始めたところでもあります。社会構造を変える事が緊喫の課題として
色々なアピールが行われています。先ず、法人税を払わない小さな会社
の廃業がコロナ禍からのターゲット。食品衛生法とインボイスで次の中
小に事業の進退を迫り、東京の若者を地方に追い返す。その穴を郊外の
大学を23区内に復活させ、人手不足解消に一役買わせる。春日通りの茗
荷谷駅の隣に中央大学の大きな校舎が出来ているのを見て、箱根駅伝の
中央大学復活にピンときました。東洋大学が白山通りにでかい校舎建て
た時も山の神や設楽兄弟など箱根の常勝校でしたね。「夢のないこと言
うんじゃないよう~」と耳をふさぎたい向きもおありでしょうが・・・。
第一次産業を復活させないと本当に日本は不味い事になる、だからしょ
うがない。地方で農業やりながらテレワークで仕事できる環境は揃い
始めていますよね。百姓という言葉は、生きていくための百の技術を
持っているという意味です。生きていくための装備や材料を買うので
はなくて自ら作っていくと云うのがこれからのライフスタイルだと
思います。服一杯着込んで私自身はもう動けない、動けない程、ここ
でいろんな物を持ちすぎている。動けない奴ほど意地悪なことを言い
募る。動いている人は、それ自体が言葉になっている。