エゴン・シーレ展

2023 年 2 月 6 日


エゴンシーレは20代の前半に衝撃を受けて割と夢中になっていた画家

です。ナルシシズムとエロチシズムとアイデンティティー。その渦中

にいるとこの人の何がそれほどまでに引き付けるのか、解らないもの。

いい年をしてと云いますか、今更と云いますか?当時は絵ばかりを眺

めていて本質を理解しないで今日まで来てしまったので上野まで歩き

ました。大雑把に考えると人間の身体や精神が機械に乗っ取られる

局面でエゴンシーレ的なものがもてはやされている。私の20代前半は

テクノが流行り、コンピュータが世界を変えてしまう予感が全世界を

覆いつくしていた。そして今は、そこにAIがある。1870年のパリ万博は

機械産業が大きく労働そのものを変容させようとする展示会でした。

第一次産業革命の渦中に日本の浮世絵文化がヨーロッパを席巻する。

機械化の波に精神を病み始めていたヨーロッパの心に浮世絵という

より「春画」が突き刺さったような気がするのです。極端にデフォ

ルメされた性器。春画に形而上的要素を付け加えたらエゴンシーレの

絵になる気がします。「悲しみの女」のワーリの純粋性。「横たわ

る女」のエーディトの多情性。クリムトも含めてみんなスペイン風

邪で同じ時期に死んでしまった。やはり裸は、風邪をひきやすい。

イニシェリン島の精霊

2023 年 1 月 30 日

ドイツの外相が宣戦布告して第3次世界大戦は静かに始まりました。

ヴァルキューレとか軍艦マーチで始まるわけでは、無いですね。

いつの間にか廊下に立っているのですよ。射程1000キロの核弾

頭を搭載した軍艦がロシアの軍港から大西洋に向かっているといい

ます。それで結局、第3次世界大戦もドイツが始めたと云う事にさ

せられるのですね。ドイツの国会内にも統一教会みたいなのはいる。

中国と仲よくしよう、ロシアと仲よくしよう、欧米から逃げたいと

考え続けてもドイツは、結局は逃げられない。そうです、日本も逃

げられない。英米と戦争すると云う事はこう云う事でしょう。

さてさてイニシェリン島です。いきなりジョージ・ブッシュが出

てきた。確かマイケルムーアの映画に出てきた俳優さんと同じだ

ろうと思います。やっぱりちょっと頭の足りない男として出てく

るのですね。でもとても良い奴。とても悪い奴になっていくけど。

マーティン・マクドナーの映画です。映像がきれい。内容はとても

シンプル。多分何かの賞を取ると思います。あー、映画は良いなと

しみじみ思える作品だった。言葉とか物語とかドラマとか何も必要

ない。動物たちがじっと、人間たちを見ている。コメデイという扱

いになっているのが秀逸な皮肉だなと思った。ろば君や犬たちから

したら、コメディ以外の何物でもない。こんな貧しい土地から生ま

れた頑迷固陋な精霊が世界中を戦火で覆い続けている、と見ました。

チミチュリ 

2023 年 1 月 26 日

先週、チミチュリを作った、いえ作りかかったと云えば良いでしょうか?

アルゼンチンの万能ソースです。肉でもサラダでも何でも美味しいソース。

たっぷりのパセリ、ニンニク、唐辛子、玉ねぎ、ワインビネガー、オリー

ブオイルがベースでオレガノ、セージ、ローズマリーなどのハーブを沢山

入れたもの。ミキサーにすべて入れてペーストにすれば出来上がりと書い

てあったのです。その通りにして完成。そこで私はミキサーの透明ジョッ

キを手に下の刃の部分取り外そうと回転させて緩めて行ったのです。

そしたらなんと透明ジョッキは底が抜けているのですね。全部流し台に

流れ落ちました。もうボーゼンですね。流れたことに対してではなく。

上の透明部分だけソースを入れたまま取り外すことが出来ると考えた

事自体が。それでもいじましく、流しに落ちたソースを舐めます。

旨いです。 「チミチュリ」少しかわいい。週末もう一回挑戦です。

ミキサーは使わないほうがいい感じがします。ホーレンソー食べ過ぎて

反吐吐いた感じがします

理想的なサッカー岡山学芸館

2023 年 1 月 10 日

昨日は国立に行く予定だったのです。まだ行ったことがない。

3階か4階の天井桟敷だったら入れるだろうと踏んでいたのですが

入れる入れない前に「テレビのほうがよく見れる」と自分に甘い

性格が見事に頭もたげて、家での観戦になりました。今回の高校

サッカーはどれも見ていなくていきなり、決勝だったのですが、

始まって直ぐに思ったのは東山の圧倒的な上手さでした。最初の

5分、10分は球が浮いて落ち着かなかったけど、球が落ち着きだし

たら東山の上手さが際立ち始めた。岡山が上手いと思ったのは、

相手が自分達よりうまいと思ったら、1対1ではなくて二人で対

応し始めた事。頭良いと思った。二人がかりではどうにもならない。

奪ったら直ぐに縦パス。しかし、パスもそれほど上手くない、止

めるのもそんなに上手くない。しかしよく走る、よく立ち向かう。

徐々に京都を追い詰める。それよりもっとダメだったのが走れない

東山。足元の上手い子は、大体体が小さい、接触が苦手、長時間走

れない、瞬間的なスピードがない。足元ばかり見ているので大きな

視野が無い。逆にそれらの長所がある子は、その強みゆえに地道な

足元の練習をしない。小学校時代から選ばれるのは、蹴る止める、

ドリブルの上手い子たちばかり。それだけが成功体験になっている

ので考えることをしない。サッカーは11人全員で戦って点を相手より

多く取ったほうが勝ちなのに、上手い子は、いつも自分を中心に考

える。バスケットやラグビーとかと比べると非常に遅れている感じ

がします。去年のワールドカップでそのような前近代的なヒーロー

達の終焉を見せられた。チェルシーやビバプール、アーセナル等は

新しいサッカーをしている。全員が走って守備をして前へ前へボー

ルを運んでいる。理想形はあれなんですね。しかし何か面白くない。

だから、僕にとってのサッカーは、終わったと思ったんです。

日本の社会も似た感じになっていると思った。成功事例に囚われ

すぎている感じがします。どれも上手く行って居ないのに伝統や

文化にしがみ付いている。私は今回初めて皆さんにちゃんと新年

の挨拶をしなかった。そういうのはもうよいと思いました。

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