さいきあまべたべる通信

2018 年 4 月 19 日

今回は、米水津のイワシの丸干し「黄金いわし」魚は大きいモノより

小さい方が断然美味しいのですが、都会の人は、マグロやぶりや

サーモン等ばかりに目が行きがちです。頭と内臓も含めて丸ごと

食べる方がうま味成分も多くて圧倒的に美味しいのです。瀬戸内育ちで

究極の腹ペコ野郎だった私が云うんだから間違いないです。

食べる通信を読んでいて食べ物の事を知るのも楽しいですが、やはり

地域の事や家族の物語を聴くのはとても面白い。海に近い所で育つ

人間は、世界に出て行くのは割と平気、一か八かの度胸は付きやすい。

奥さんが良い顔しているので、この家は大きくなりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

ウォーリーをさがせ!展

2018 年 4 月 19 日

昨日から銀座松屋で「ウォーリーをさがせ展」が始まっています。

記事の中に鈴木のりたけさんの写真が在ったのですが、イラスト

レーターののりたけさんと勘違いしちゃって「あれれ、しゅっと

しちゃって随分あか抜けたなと思いながら読んでいたら別の「のり

たけさん」でした。いつも名前だけでメールのやり取りをしている

せいで名字忘れていました。のりたけデザインとウォーリーのコンセプ

トは割と似ています。表現は真逆ですが。全体の中からたった一人の自

分を探し出して云いながら全体の中に溶け込みたいという欲求、同じ顔

の没個性から全体性への回帰。個人が全体に収斂しながらそこを通過し

てもう一段階上の個人へ。40年前テクノが流行ってクラフトワークや

Y・M・Oが出てきたときもコンピュータが出始めた時でした。また今、

AIの潮流が全体性への志向を強めた時、このような問題提起が行われ

ます。かけがえのない自分とめんどくさい自分との間でずっと揺れ動

いている私たちがいます。

素敵な「のりたけウォーリー」「ウォーリー展」でどうぞ。

 

 

 

 

呼びさます写真

2018 年 4 月 18 日

編集部にある松葉さんの写真をもうかれこれ2か月以上、見続けています。

昨夜、BSで渥美清の「拝啓天皇陛下様」をやっていました。

何回か見ている映画でしたが、なんとなく観つづけてしまいます。

この写真の少年位の年の頃。家から1キロぐらい離れたところに

大きな川が在って橋の下に傷痍軍人が住んでいました。昭和35年頃。

片足がありませんでした。私は、しょっちゅうその人を見に行っていました。

暗くなるまでその人を見続けて、黙って帰ってた。

昨日渥美清を見ていたらあの傷痍軍人と6歳で亡くなった姉を

思い出してしまいました。松葉さんの写真は私だけに響くものでは

ないと思います。みんなが持っているあの確かな幸福の時間、瞬間。

そこに静かに案内してくれる。

写真家 松葉末吉

2018 年 4 月 18 日

松葉さんは1902年生まれの人。木村伊兵衛さんとはひとつ違い。

一回り下に植田正冶さんが居ます。昭和元年が25歳ぐらいですから

それぐらいから戦争までの間、バスの運転手と云う仕事の合間に写真術を

勉強されて家族や身の回りの物を独学で撮り続けておいでだったようです。

終戦を機に写真はやめられてそれ以降、カメラを手にされなかったようです。

何かを失くされてしまったようですが、それにしても・・・・・・・。

松葉さんの写真を見ていると胸を締め付けられるような思いに駆られます。

来週発売の「未明02」の隠し玉。一挙、32ページ掲載。

4月25日荻窪「Title」先行発売です。

2018 年 4 月 16 日

もうかれこれ1年半、殆んど毎週、狛江の推拿整体の先生の所に

通っています。日曜日の午前中に行っているので、殆んど旅行にも

山登りにも行けないし、土曜日に仕事したら週末は狛江詣で終わって

しまいます。最初はぎっくり腰を治しに通っていました。そのうち昔の

古傷が甦って来ました。それも治りつつありますが、いまは、身体に

ついての不思議とそれらの関係を勉強しに行っている感じです。痛い

ツボを責められながら身体の構造を訊くのがとても為になります。こんな

年になって一番根本の身体の事を勉強するなんて、今更ながら遅きに

失した感が否めません。身体の中にこころはあります。良い事も悪い事も

一番先に知るのは心臓です。こころが人の生き方の全てを決めます。

そのこころが身体にあるのです。3か月で入れ替わる60兆個の細胞の

一つ一つがこころを作っているのだと思います。大脳の細胞は200億

個ですので0.03%しかないです。そのたった0.03%の部分に一日の、

又は自分の人生の大半を委ねている。それは何処かいびつな事。

身体が整っていくと、こころが穏やかになって行きます。特別な何かを

食べたいとか、特別などこかに遊びに行きたいとか、あまり思わなくなって

来ました。食事の好みも随分変わって来ます。野菜を多く摂るようになった

かな?初めてのお客様でもあまり緊張しなくなりました。

生まれた時に完全無欠だったこころは、対人関係や社会の軋轢に

さらされることによってだんだん歪んでいきます。その歪は身体に現われます。

身体を整えることは心を整える事と云うのは、まさしくそういう事なんだなと

今更ながら知らされました。先週上野に国立博物館の人体展に行って

来ました。ずっと見ながら、これは文字通り人体で在って身体では無かった。

西洋医学は心と身体を別のものと考えるので、私が探しているものでは

ありませんでした。「いのちを呼びさますもの」医療と健康、体と心についての

深い哲学が書かれた本です。世界とも誰とも繋がらない私と云う宇宙に今

興味がつかないです。

 

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