おきなわ食べる通信 ティダパイン

2018 年 6 月 12 日

6月号は石垣島の「ティダパイン」国産のパイン。沖縄でしか

採れないモノ。日本中の子どもたちが喜ぶパインを目指して。

生まれて初めてパイナップルを食べたのは8才でした。大分の

臼杵の親せきのうちでした。とげとげの見たことも無い植物を

包丁で切ったら中から黄色いのが出てきました。恐る恐る食べ

たら気絶するほど甘かった。今でも生まれて初めての体験で、

パイナップルと云うのは、絶対感動させられる果物だと思いま

す。切ったやつでは駄目で、いきなり顔に押し付けて吃驚させ

てからおもむろに切って食べる。今でもまざまざと甦ります。


床屋の写真

2018 年 6 月 7 日

今日の日経新聞の文化欄は林朋彦さんの「トコヤロード」です。

週刊誌や新聞等各紙で取り上げられている床屋の写真集。

ディテールを強調することで床屋の歴史が浮かびあがりながら

キラキラしていた昭和が浮かび上がってきました。素敵な写真です。

数日前のF・Bでどこかの古い家屋が写っていて、「さぁ、これから

突撃です。」と新たなトコヤロードを始めているようでした。

林さん、完璧にスタイルを作ったみたいですね。

うつぼのひとりごと 吉村萬壱

2018 年 6 月 6 日

さっき、白山通りと不忍通りの交差点でボーと信号待ちしていたら、

ふと思いついたのですが、人とか車とかは今の情報だが、背景のビル

なんかは前見た画像の記憶をもう一回呼び戻して今の情報と合体させ

て認知させているのかな?という事。パソコンのクッキーと同じ原理

です。あるサイトを見に行ってもその情報が最新のものでは無い場合

が多々あるという事。更新頻度の激しいページは頻繁に最新情報を上

げますが、更新頻度の少ないページは昔の履歴からパソコンに残って

いるモノを上げて「はいどうぞ」と云うインチキ。毎回毎回すべての

最新情報をネットでやり取りするとキャパを越えてしまうので、自衛

の為の処置だと思います。なんとなく人間の頭でもその様な事が行わ

れているのかなと思ったのです。ごく最近読み終えた吉村さんのエッ

セイ集にそんな事が書いてあって気になっていたのでした。「人間の

脳に達する視覚情報は3%に過ぎず、残りの97%は脳が作り上げた

イメージに過ぎないという研究がある」と在ってそんなことを聞いて

しまうとぐずぐずと考え続けてしまう私なのであります。視覚だけで

は無くて想起する願望だったり、本日やらなくてはいけない義務だっ

たり予定も、実は今日、急に決めたものでは無くて、私の今までの習

慣だったり行動規範で予め決まってしまっていてそれを繰り返してい

るに過ぎないと云う部分が多分にあるように思うわけです。特に最近

のルーティーンを考えると何も新しい事をやっていない自分に愕然と

したりします。まだ見ぬ新しい所へ行く時間は凄くゆっくり流れるの

に帰り道はあっという間です。月曜の朝にご飯食べながら「あ~ぁ、

一週間なんてあっという間ねぇ。」と云うかみさんの言葉に納得して

る場合じゃないですね。吉村さんの本は、去年お会いしてサインまで

して貰いながらずっと読んでいませんでした。私と同じ露悪的な中二

病だなと云う認識で私のを高尚にして専門的にしたら吉村さんになる

なと思っていたのでした。とても面白かった。私のは本当に14歳の

ままですから。

中島ローラー

2018 年 6 月 5 日

中島ローラーの社長さんにローラー貰いました。

綺麗で真っ新な赤ちゃんと鉢巻撒いて身を粉にして働くオヤジ。

万引き家族

2018 年 6 月 4 日

土曜日の朝、口開けで見てきました。パルムドールと云う賞に期待

しすぎていたせいか、鑑賞後は、アラが目立つ感じが在ってさほど

良いとは思わなかったです。ユルイし雑だし、万引きを知らないと

思ったし、リアルな底辺の人間を知らないなとも思っていました。

でも何だかスッキリしないのでずっと考え続けました。まだ観てい

ない人の事考えるとここであまり話の中を書くと折角の体験が台無

しになっちゃうなと思います。土曜日曜と考え続けた結果、今はや

はり良い作品だな考えています。敢えて綻ぶ寸前と云う雰囲気を創

っています。「万引き」とは、商品を間引いて盗む「間引き」が変

化して万引きとなった。間を盗むとは関係性を盗む事。承認欲求の

強いナルシストの父親役、虐待されて育った母親役、亭主を盗まれ

た婆さん役。それぞれが子どもたちを万引きして来て家族を作った

のでした。しかしそれぞれの親役や婆さん役もそれぞれの家族から

それぞれのモノを万引きされているわけですね。

家族と云うモノを改めて考えてみると肉欲と生存欲と銭欲とナルシ

ズム。この多寡で家族という関係性は成り立っているわけです。消

費文明の主体は、個人一人一人になっているのですが、その様に捉

えると家族の形そのものが崩壊し始めるので、自明の事と役割とし

てしか定義させないのが伝統的な家族主義の人々なわけですね。

関係性を間引かれた家族の喉元に突き付けられた匕首が「万引き家

族」だと思います。それぞれが自分は家族の構成員として誰かから

何かを万引きしていないか?お店で商品盗る事では無かったです。

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