新型コロナウイルス飲み薬、年内承認

2021 年 9 月 26 日 日曜日

コロナに罹ったら、薬は無い事になっているので、基本的には何も処方

されないで放置と云うのが基本的な対策であるようです。血中酸素飽和

濃度を計る器具を渡されて一喜一憂する。95を下回ると慌てて保健所

に電話するとゆっくり深呼吸しなさいと言われます。すると少し数値は

上がるようです。住んでいる場所によって対応は様々で、体温と酸素濃

度を計ってドキドキしていろと言う処と解熱剤と咳止め等を処方して呉

れる処と対応がいろいろと違います。解熱剤や咳止めが効くかと云うと、

1日、2日少し収まるようですがまた熱は直ぐ上がるようです。私が身近

で40度の熱と闘ったコロナ患者に聞いた経験談です。そして、それぞ

れに「イベルメクチン」を渡しました。飲んでくれました。そして効い

たようです。昨日、「抗寄生虫薬がなぜコロナウイルスに効くのか」と

云う対談を読みました。開発者の大村智博士と中島克仁さん(衆議院

議員)の対談です。以下「中島かつひとのブログ」からの転載です。

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{中島}

基本的なことなのですが、イベルメクチンは抗寄生虫薬。

抗寄生虫薬がウィルスへの効果期待できるということはだいぶ以前から

研究されてきたんでしょうか。


【大村博士】

自分の研究所を持ったのが38歳の時かな。

その時に私が言ったことは、これから新しい薬を探していくけど、マクロ

ライドだけは私のライフワークだよと。マクロライドというのは色々な作

用があるんです。もちろん、細菌をやっつけるという抗生物質への、その

他にもいろんな作用があるってことを感じていた。だから、こういう作用

を研究すれば一生かかってもでききれないくらいの研究テーマになってい

くなと予測して、それではっきりとその当時の私の本には書いてあるん

です、これからはマクロライドだ、もちろん新しい薬も探すよ、だけど

マクロライドだけは私のライフワークだと。それで、このイベルメクチン

がなぜウィルスに効くんだという話ですけど、ウィルスに直接作用すると

いうこともあるけれども、かなり早くからオンコセルカ症の色んなデータ

が集まっているのを分析して、これは直接寄生虫を殺すということもある

けれど、むしろ身体の免疫に働きかけて免疫力を活性化する作用があると

いう風に私は見ているんです。オーストラリアの前澤先生が昨年3月です

よ、コロナが流行ったら大変だと私に手紙をくれましてね。大村さん、

早く製薬会社に知らせてやれと、この薬はコロナに効くよと、なぜかと

いうとこれはリリースキナーゼといわれる、キナーゼとはタンパク質を

リン酸化する酵素のことをキナーゼと言うんですが、特にこういう感染症

になったりすると、体の中に出てきて免疫系を阻害してしまう。だから、

ウィルスに感染するとそのキナーゼが出てきて、免疫系を破壊しようとす

るのをイベルメクチンがあるとそのキナーゼの働きを阻害する、だから免

疫系が働いて抗体ができる。こういう理論を教えてくれたんです。

私はそういう内容を感覚的に思っていましたからね。なぜかというと、オ

ンコセルカ症の撲滅には年に一回(イベルメクチン)飲むだけなんです。

寄生虫は体の中に常時いて、ミクロフィラリアなんて一日に千匹も産んで

いるんです。それを一年に一回しか飲まなくて済む。ジェチルカルバマジ

ンなんか、飲むのを止めると、すぐ元に戻る。ところが、イベルメクチン

の場合は、一旦下がっても元には戻らない訳です。だから、これはもう絶

対に抗体が体の中にできているから、親虫が子供を産んでもその子供は死

んでしまうわけだ。そういうのが私なりの良いということのロジックです

ね。ですから、色んな薬と使い分けることによってウィルスを殺すのと免

疫を活性化させるのと一緒に飲めば良いのかと私は思いますけどね。

【中島】

効能は数時間、数日がピークという薬が多い中、ワンショットで3ヶ月も

持続するというのは考えられないですね。

【大村博士】

この薬は体の中で多く長く壊れないから抗体を上げている。それを証明して

くれた私のグループが新型コロナウィルスを小動物に感染させてイベルメク

チンを飲ませる、飲ませない方と比較し、イベルメクチンを飲ませたマウス

は10倍も抗体が上がり10日間に10倍も中和抗体ができたのです。という

ことは、これで次の感染にかかりにくくなる。抗体だって1日で消えるわけ

ないですから、せめて抗体ができる少なくとも一、二ヶ月はキープできるわ

けでしょ。だから、ウィルスの感染をコントロールできるようになると。

この間、感染症学会と化学療法学会の合同の学会があったでしょ、私が特別

講演をしたのですが、このデータを学会で紹介しています。

【中島】

科学的根拠も示されていて、しかし承認には1〜3相試験がある、我が国の

感染状況だと平時のプロセスを踏むと1年も2年もかかってしまう。

【大村博士】

この薬は日本の薬の許可(承認)を取っているのに(疥癬、糞線虫症)、

今になって安全性がということ自体、今まで何をやってきたのかということ

ですよ。

【中島】

有効性はもちろん、科学的根拠も多く示されていて、両輪である安全性は

40年、年間3億人の方々が服用しているのが最大の実績と思いますが。

【大村博士】

色んな論文の中で面白いのは「サイエンスと政治」という問題です。


【中島】

興味深い


【大村博士】

(図を指して)

さっき皮膚の線虫が薬を飲むとがーっと下がってくる、赤いほうがイベル

メクチンで3ヶ月はずっとゼロというデータがちゃんとある。

これは1985年のことで、私はこれは免疫に当たっていると思った。

アメリカの科学者たちは親虫が産むところを抑えていると言っていたが、

私はそうではなくて、それもあるかもしれないけど、むしろ産まれてき

たやつを(免疫で)殺していると考えた、これが今、生きてきたと思い

ます。

「サイエンスと政治」

ペルーの話ですけど、ペルーも感染が始まって一日600人も亡くなっていた

んです。ところが4月の中旬からペルーではイベルメクチンを飲ませること

を許可して配って飲ませたら、一日48人くらいまで感染者が減ってきたの

です。ところが大統領が代わって規制した、そしたらまた戻って、一日に

600人も亡くなってしまうようになってしまった。サイエンスが感染者と

減らして、政治が感染者を増やしたという、サイエンスと政治というペル

ーがいい例ですね。私は非常に恵まれているのは、世界中からそういう情

報が私の元に送られてくるのです。そして、色んな会議があるけれど、そ

こに加わってほしいと言われているけれども断っているのです。下手する

と政治に利用される可能性があるから。だから、そういうところから私に

色んな情報を送ってくれているのです。

【中島】

我が国は医療先進国と言われ、世界に誇る国民皆保険制度だと言いな

がら、欧米に比べてこれだけ少ない感染者数で医療逼迫を来す、一体どう

なっているのだろう・・普段高い保険料払って、いざという時に薬も出し

てもらえない・・・

【大村博士】

代議士の先生には申し訳ないけども、完全に政治の問題です。

医療の問題ではない。

データもいっぱいあり、普通の製薬会社新しい薬を開発する時は何万例

という症例を持って効いているという、それは投資できるから、新しい

薬ができれば売れるからできるが、ジェネリックなんてどこがお金を出し

てくれるのか。イベルメクチンをやめさせようと言っている人に言いたい

のは、イベルメクチンは世界中130ヶ国以上で、100件以上治験をやってい

るので症例が少ないなんてことはなく、全体集めると1万人以上の症例を

やっているわけです。ただイベルメクチンを排除しようというだけの理屈

だなと、なんとか早く北海道などの仲間に届けてやりたいです。

【中島】

先ほどの議員立法、私はイベルメクチンが(新型コロナウィルス感染症)

切り札と、当初から信じております。より覚悟を持って取り組まさせて頂

きます。

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立憲は好きではないし大村さんのスタンスも少し納得がいかないけど。滅

多にこういう転載はしないのですが。イベルメクチンが免疫力を劇的に上

げると云う事でしたらこれはひょっとしてとんでもない万能薬である訳で

3か月に一回、予防薬として定期的に飲んでいればあらゆる病気を遠ざけ

ます。この辺がこの薬が銭儲けの人たちから嫌われる理由かも知れません。

サマーオブソウル

2021 年 9 月 21 日 火曜日

サマーオブソウル「あるいは革命がテレビで放映されなかった時」

日比谷シネマシャンティでやっと観れました。時間が空きそうだと

思ってサイトから予約しようとしてもいつも満席で席が取れません

でした。昨日やっと観る事が出来ました。1969年7月20日、

人類が初めて月の上に立った日、ニューヨークハーレムの公園では

8週間、黒人だけのフェステバルが開かれていました。8月15日か

ら3日間、100マイル離れたニューヨーク州サリバン郡の農場では

あの「愛と平和の祭典」ウッドストック・フェスティバルが開催され

ています。60年代、黒人に好意的な指導者たちが次々と暗殺されてい

ました。ハーレムでは毎日のように黒人たちの暴動が起きていました。

その辺りの事情の回避という思惑が行政側に在ったにせよ、その年、8

週間行われた「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」は恐ろしい

ほどの熱狂を集めたのでした。ディレクタ―の家に50年間眠っていた

当時のフィルムが発見され、編集され映画として結実しました。

このフェスティバルは、本当に革命だと思います。最後シーナ・シモンは

銃を手にする覚悟は出来ているか?人を殺す覚悟は出来ているか?って

アジっている。放送禁止用語だと思うけど、暴動以上の暴力になっている。

しかし、ハーレムの黒人以上に抑圧されているのは、コロナカの我々では

無いのか?ソフトケイトされた抑圧は、抑圧だとは思わせない。ナチスの

ドイツと同じことが今行われているのではないでしょうか?

なる

2021 年 9 月 19 日 日曜日

朝、新聞に「人となり」という言葉が在って頭に居座ってしまい、

なんとなく考えていました。ページ繰ったら、アマゾンと講談社が

提携したと記事がありました。取次を通さない事による、効率化と

経費削減の一環です。うちは印刷しているから印刷屋です。自費出

版で本を売る場所を作ろうと「WEBブックショップ」をオープン

させました。もうかれこれ1年以上になります。未だ本屋になってい

ません。本屋と云えるほど売れてはいない。沢山の著名な方が応援

をしてくれてはいます。多分、私が本屋になっていないからです。

本屋になると云う事は如何云う事だろうと考え続けてはいるのです。

山谷佑介さんが「tsugi no yoru e」をイニュブック限定販売で売ら

せて頂いているのもイニュブックを応援しようと云うお考えの様です。

本屋の店主としての「言葉」等をサイトに入れたらどうですか?と今

年の春に提案されていたのですが、はっきり立ち位置が決まりません。

アマゾンと講談社の提携を見て、本屋の前に取次的なものを先ず初め

てみようかなと考えました。うちで造った本で、これは良い、売れるぞ

と云うのを本屋さんに卸すのをはじめます。

第4回笹本恒子賞を受賞

2021 年 9 月 19 日 日曜日

渋谷敦志写真集『今日という日を摘み取れ』が

「日本写真家協会・第4回笹本恒子賞」を受賞しました。

渋谷さんから長いメールを頂きました。近況報告と写真に対する思いな

どが書かれていたので本人の断りなしにここに掲載させて貰います。

ジャーナリストでもあり「国境なき子どもたち」の取材も含んでいる様

ですのでお許し願いたいと思います。

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山住さま

こんにちは。たいへんご無沙汰しておりますが、お変わりなくお過ごしで

しょうか。淺野さんからすでに聞いておられるかとは思いますが、この度、

思いがけずに第4回笹本恒子写真賞に選んでいただきました。

これはやはり写真集「今日という日を摘み取れ」出版と写真展などを主と

した活動があっての評価であると確信しております。メールでたいへん恐縮

ですが、まずはそのことをご報告するとともに感謝を申し上げます。本当

にありがとうございました。お礼も兼ねて、こちらの近況を長文になりま

すがお伝えいたします。お時間ある時にでもお目通しください。

コロナ前からのことですが、このところ、写真を撮るしんどさが写真を撮

る楽しさを上回っていました。自分はなぜ写真を撮るのか。それを困難な

状況で自問すること自体が目的であり意味だと修業的な捉え方をしていま

した。困難にある人様にカメラを向ける以上、楽しさを語ってはいけない

という自制心もありました。ただ、それでは続かない、何かアプローチを

変えないといけない、という焦りや葛藤は自分の中でずっとありました。

端的にいえば、写真を好きになるにはどうすればいいか、それを模索して

いた中で、ギャラリーSでの展示があり、写真集の出版がありました。

最悪これで最後になっても写真人生に悔いを残さないように、くらいの

気持ちで臨んでいたのはたしかでした。しかし、コロナは思いの外長く

続き、次の一歩が踏み出せませんでした。ぼくだけじゃないですが、写真

家はその中で多かれ少なかれ、移動できない、撮れないという事態に悩み、

いまも苦しんでいると思います。ぼくの場合も焦燥感は日に日に強まって

いました。ただ、逆説的ですが、撮る自由が奪われたことで、撮りたいと

いう一心が徐々に研ぎ澄まされ、一点に向かって集中していくような感覚も

あったのです。写真行為はいつだって待つことが仕事だったじゃないか。

そう自分に言い聞かせて、飛び出す機会を待ちました。それはいつだった

か?ぼくはワクチン接種がそのターニングポイントだと考えていました。

幸い、妻が医療者だったので、その家族ということで、7月半ばには2回

目を終えました。そしてぼくは写真を撮りたい一心をまず自分に開こうと、

8月、思い切って日本を飛び出しました。選んだ行き先は、アルメニアで

した。初めての国です。旧ソ連圏も未知でした。何が起こるかわからない

不確実性の中での旅でしたが、多くの出会いに恵まれ、新しいフィールド

で自分でも知らなかった自分があらわになる新鮮な感覚がありました。

すぼんだ視野とこわばった感受性は日毎に広がりました。なにより、写真

を撮る喜びは何ものにも替えがたいことを再認識できた時点で、勇気を持

って飛び出してよかったと思いました。現地ではナゴルノ=カラバフの事を

取材しました。去年大きな戦争があった場所です。世界がコロナに翻弄さ

れる最中に、生きるか死ぬかの境界で戦い続けた人たちがいた事実、その

戦争はまだ終わっていない現実、そんな厳しい場所に入っていかなければ

見えないものや感じられないことがあることを考えさせられました。

このプロジェクトは継続する予定で、また機会を見つけ、時間をかけて伝

えていくつもりです。そしてアルメニアのあと、バングラデシュに移動し

てきました。ミャンマーから逃れてきた人たちの撮影にとりかかる予定で

した。ところが、コロナに感染してしまい、しばらくダッカのホテルで隔

離療養を続けていました。仕事的には詰みの手前くらいまで追い込まれま

した。この頃くらいに笹本賞の受賞の知らせを受けたのです。体調的には

大事に至らず回復しました。リスクの多い旅であることは覚悟していまし

たが、困ったときに多くの人に助けてもらいました。受賞によって自分の

実力を評価いただいたのではありますが、サンデル教授が「実力も運の

うち」と云いますように、自分はやはり環境や人間関係に恵まれている非

常に幸運な人間なのだと、感謝したいいろいろな人の顔が浮かびました。

ぼくがちょいちょいやらかすことを知る人は少なくないので、ここでこん

なことを書けば不遜、放埒のそしりを受けかねませんが、それでも、ここ

でいま一度、自分に発破をかける為に、こう言い聞かせました。「リスク

の元の意味は船出する勇気のことなのだから、リスクを恐れず、挑戦する

勇気を持て」そして長い隔離期間を経て、ようやく陰性が証明されました。

気持ち新たにカメラを手にとって外へ繰り出しました。

シャバの空気はやはりうまいものです。少し予定より遅れましたが、ただ

いまコックスバザールでミャンマーからの難民の取材中です。"予定通り

予定通りにいかず"、悪戦苦闘の毎日ですが、これもまた楽し。写真が撮

れる幸せを噛み締めております。再感染したら、また隔離で日本への帰国

が遠のくリスクがあります。10月終わりにはウズベキスタンに行く予定

もありますので、そこは油断せずに行きます。年末には受賞記念写真展含

め2カ所で写真展がありますが、日本にいるあいだにあらためて対面でお

礼に伺えればと思っております。

渋谷敦志
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授賞式が12月8日。

写真展が新宿の「アイテムフォトギャラリー シリウス」

12月16日~22日
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去年のキャノンギャラリーSで行われた写真展で1時間ぐらい大きなプリン

トをじっくり見ていました。写真集を造っていたのでどの写真も十分すぎる

程、観ているつもりでしたがプリントの展示と云うのはまた違います。写真

集の並びとも違う。観ているうちに心の中に何かが蠢き始めたのでしょう

か、渋谷さんと話をしていたら、思わず涙がこぼれてしまったのです。姉を

亡くしたと云う喪失感があるのか、子供の不幸が耐えられないと云うこちら

の事情もあるのですが、渋谷さんの写真には、それぞれの様々を簡単に呼び

さましてしまう力があると思っています。これこそが報道と云うモノを越え

た写真の原点だと思います。イニュブックで販売中。


真実を記録する

2021 年 9 月 13 日 月曜日

スマホには、動画撮影機能や録音機能があります。

これであらゆる事やモノや嘘を記録しておくことは重要です。

役に立つときが来ます。さほど遠くない時期に。証拠として

残ります。今は理解する必要はないのです。記録しておけば

後で検証できます。

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