梁丞佑 写真展 「人間模様」 

2019 年 4 月 25 日 木曜日

一昨日、いきなり半袖シャツの入れ墨男が製本してくれと事務所に

乗り込んできたのでした。自分でプリントしてテープ製本をしたのだけ

どばらばらになってしまうと云います。7点各一冊づつの製本です。

紙の束を受け取って中身をパラパラと捲って行くと凄い写真が写ってい

ます。「あんた、これ凄いじゃない!絶対賞獲れるよ!」と云うと「もう

貰いました。土門拳賞!」と云うじゃないですか。いやぁ~、失っつ礼し

ましたですよ。身体に紋々入れていますが、職人タイプの人なのか笑顔が

柔らかい。まさかやくざの世界撮るために墨入れたのかと考えてしまう程

人あたりが良い。人間を被写体にしている人が持っている独特の壁の柔ら

かさ。ヤンさんの写真は凄く良いです。

行誡と弁栄展 両国回向院 5/11~5/19

2019 年 4 月 25 日 木曜日

たまたま臨済宗系のお寺の前を通ると「行誡と弁栄」のポスターが

貼ってありました。このお二人は明治期の仏教界では有名な高僧なん

ですね。知りませんでした。明治になってからの日本の仏教は、大き

な秘密に閉ざされていました。このポスターに「廃仏毀釈」と書いて

います。先日印刷した「墨跡仏画集 山崎弁栄」の絵にはイエスキリ

ストの顔をしたお釈迦様や赤子を抱えたマリアの様な観音様が一杯描

かれています。キリスト教のおなじみの絵柄です。初めこの原稿を見

た時、新興宗教かなと思っていました。しかし、昨日上のポスターを

見て、そう云う事では無かったようですね。廃仏毀釈と神仏分離は、

本来の仏教の形を変えざる得なかった。もともと日本人はタイやブー

タンの様に仏教を中心に平和に暮らす民族でした。英米がアジア支配

の橋頭堡作るために目を付けたのが日本でした。薩長に武器を渡し江

戸幕府を倒させ、悠々と乗り込んで支配しようと目論んだのですが、

安政の大地震が起きて肝を冷やします。上海に一回逃げて作戦を変え

ます。言いなりになる傀儡政府を作って裏から支配する事にします。

明治元年に蒸気機関車をプレゼントして、明治4年に富岡製糸場、

明治9年に高田馬場に競馬場を造ってイギリス流の娯楽を伝授します。

「廃仏毀釈」だと号令を掛ければ嬉々としてお寺や仏像を壊しました。

神道と云うのは作法やしきたりはありますが戒律はありません。元気で

生命力を横溢させることを善とします。拡大と豊穣を尊ぶ。五穀豊穣

富国強兵が第一の国家にするためには神道は、もってこいなのですね。

水を飲みたくない馬に水を飲ませることは出来ません。戦いたくない

人間にいくら武器を渡しても戦わせることは出来ません。戦う様な人

間に改造しなければならないのです。生活を変える。状況を変える。

心情を変える。敵を作る。戦争と云うのはその様な処から始まります。

韓国、台湾、ロシアなどへの動きは、立派な成果として歴史に刻みつけ

られていますが、どこの段階で英米に楯突く様になって行ったのかは、

明確ではありません。しかしいくら政府に云われたからと云って生活の

中心の仏教を捨て去ることは日本人には出来なかった。明治中期から

後期にかけて起きてくるのが新たな宗教の勃興なのです。神道では心の

支えにならなかった。実際の話、明治の仏教が堕落しきっていたのも事

実です。ある寺の寺男をしていて住職の愛人と酒を飲んで、夜の話を

訊いて、思わず「坊主、おぬしもやるな!」と云って首になったのは

尾崎放哉です。そこに行く前には新興宗教の「一燈園」の世話になって

います。そのような仏教が縁と云う教義的命題を持ってアジア侵略と太

平洋戦争の精神的役割を持とうとした遠因となるのが「廃仏毀釈」なの

では無いかと考えます。しかし70年前ここでもう一度、大きな挫折を

味わいます。廃仏毀釈から150年と云う月日には、色々な見方がある

と思います。そして新しい時代の幕開けまで1週間足らず「令和」と云

う時代が作り出す風景とはどの様な物なのでしょうか?歴史は繰り返す

と云いますね。一回目は悲劇として、二回目は喜劇として。

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