池袋リブロ閉店
2015 年 7 月 15 日 水曜日豊島区の区長の高野さんは元々、古本屋の親父で、文化や芸術の
理解はどちらかと云えばある方で、西武百貨店の堤さんのいろいろな
展開を後押しした。このお二方の力が池袋をアート・モード情報発信拠点に
した功績は大きいと思います。西武百貨店、西武美術館、アールヴィヴァン、
パルコ、WAVE,ハヴィタ、リブロ。糸井里里さんなどのコピーライターが
時代の寵児になりえたのも堤さんの力が大きい。私も、宣伝会議のコピー
ライター養成講座に通っていたことがありますが、アカ雑誌ばかり読んでる
左巻きがおいそれと変われるはずも無く、ほとんど面接も受けることなく、
プー太郎やりながら印刷屋のアルバイトで日銭を稼ぐようになってしまい
ました。仕事先が板橋であったけど、池袋に住み始めたのは、それらの
雰囲気に惹かれたところは大きいと思います。本屋と云えば、昔は古本屋
だったけど、ココ20年ぐらいは新刊しか買わなくなりました。古道具は古け
れば古いほど嬉しいけど、やはり本は情報なのでなるべく新しい方が良い。
ジュンク堂が出来てリブロから乗り換えてしまったのですが、丸善やDNP
などの傘下に入ってからはまた、リブロに戻り始めていたところだったのです。
リブロさんが閉店するという情報が流れてからジュンク堂さんは、一階レジの
配置を大きく変えて、大量に流れてくるお客さんをスムーズに捌けるよう
段取りを変えましたが、そんなに甘くはない。レジの人たちが気持ち悪くて
リブロに変わったのですから。気持ち悪いと云うのは、アルバイトの人たちが
かわいそうですね。お仕事を楽しんでいない。イヤダイヤダオーラが全身から
出ている。その負の感情がグロテスクな接客になっているのですから。
・・・・・・・・・。鏡に映った私の心では無いとは言い切れませんが。
リブロの店員さんはごく普通だけど、自然な感じです。
リブロ、7月20日で終わりと知って昨日も立ち寄ってしまいました。結構古い
本も残っています。少し時間が停まってしまった感があります。
「赤い糸」米澤純子
写真の詩人 ひっそりとそこにあったものをそっと写している。
確かに運命の出会いの様なその瞬間。赤い糸で結ばれていなければ
撮れないような邂逅。印刷も良い。紙も良い。静かで気持ちいい。
昭和残影
2015 年 7 月 13 日 月曜日昭和の終わりごろ、椎名さんが「さらば国分寺書店のおばば」を
出して評判になり始めていたころ、荻窪の「丸信」で良く見かけていました。
多分、徹夜の朝帰りの日曜日のお昼。我々は、朝食のような昼食のような
散歩コースの定番コース。大きな黒い鞄を肩からぶら下げてエネルギッシュに
ワシワシ、ラーメン食べてました。本の内容とは裏腹に精悍な表情には、
成功者の片鱗がにじみ出ていた。本の雑誌も買って読んでいました。
編集者が目黒さんでイラストを描いていたのが沢野さん。ここからヘタウマが
一大ブームになっていった。30代になって買わなくなりましたが、そのあと
書評として良く目にするようになったのが北上次郎。目黒さんと同一人物だとは
知らなかった。
目黒さんのお父さんの話です。若いころは横浜、川崎で戦後は池袋でその
生を紡ぎ続けたお人の生涯を膨大な資料を渉猟し紐解いています。
構成はどうだろうという感じでした。北上さんの書評は、結構はずれは無いと
思っていただけに要所要所の山谷がぎくしゃく。競馬の話は、そこまでいる?
というぐらい。共産主義が立ち上がってくる背景はしっかり描いているけど、
当時のその全体的な活動は興味が無いのか素通り。途中で間延びして
いましたが、池袋周辺の話となりますとそこは、ほとんど今のテリトリー、
なるほどなるほどと面白かった。
明治のころに大山の駅向こうに競馬場があった話。明治12年に高田馬場で
初めて競馬が催されて外人が一杯見に来た。イギリスの影が見えます。
イニュニックのすぐそばにお住まいでこの辺で印刷業もされていた等々。
私が印刷業に入ったころには孔版印刷は、この辺ではなかったし、聞か
なかったのでほとんど接点は無いですが、製本屋さんは同じところを使って
いたかもしれません。
最後、泣かせる話になっているし、それなりに感動はします。
でも、最後自分は親に愛されたのだろうかと云うつまらん疑問を口にします。
ほとんど同じように、目黒さんが亀治郎さんを好きだったのだろうか?という
疑問符も出てきます。逃げて避ける関係はお互いを背中合わせにする。
親の本意を知らないで来てしまった、取り返しのつかなさがあれだけの
資料となったのではないかと思いました。その後悔の重さが胸を打ちます。
安保法制
2015 年 7 月 2 日 木曜日本丸はTPPではないかと思っています。
安保法制も燃料。
ワーワー言ってる間にするっとTPP。
全ては、お金が無い、お金が無くなることへの
対処のように思っています。