昭和残影
2015 年 7 月 13 日 月曜日昭和の終わりごろ、椎名さんが「さらば国分寺書店のおばば」を
出して評判になり始めていたころ、荻窪の「丸信」で良く見かけていました。
多分、徹夜の朝帰りの日曜日のお昼。我々は、朝食のような昼食のような
散歩コースの定番コース。大きな黒い鞄を肩からぶら下げてエネルギッシュに
ワシワシ、ラーメン食べてました。本の内容とは裏腹に精悍な表情には、
成功者の片鱗がにじみ出ていた。本の雑誌も買って読んでいました。
編集者が目黒さんでイラストを描いていたのが沢野さん。ここからヘタウマが
一大ブームになっていった。30代になって買わなくなりましたが、そのあと
書評として良く目にするようになったのが北上次郎。目黒さんと同一人物だとは
知らなかった。
目黒さんのお父さんの話です。若いころは横浜、川崎で戦後は池袋でその
生を紡ぎ続けたお人の生涯を膨大な資料を渉猟し紐解いています。
構成はどうだろうという感じでした。北上さんの書評は、結構はずれは無いと
思っていただけに要所要所の山谷がぎくしゃく。競馬の話は、そこまでいる?
というぐらい。共産主義が立ち上がってくる背景はしっかり描いているけど、
当時のその全体的な活動は興味が無いのか素通り。途中で間延びして
いましたが、池袋周辺の話となりますとそこは、ほとんど今のテリトリー、
なるほどなるほどと面白かった。
明治のころに大山の駅向こうに競馬場があった話。明治12年に高田馬場で
初めて競馬が催されて外人が一杯見に来た。イギリスの影が見えます。
イニュニックのすぐそばにお住まいでこの辺で印刷業もされていた等々。
私が印刷業に入ったころには孔版印刷は、この辺ではなかったし、聞か
なかったのでほとんど接点は無いですが、製本屋さんは同じところを使って
いたかもしれません。
最後、泣かせる話になっているし、それなりに感動はします。
でも、最後自分は親に愛されたのだろうかと云うつまらん疑問を口にします。
ほとんど同じように、目黒さんが亀治郎さんを好きだったのだろうか?という
疑問符も出てきます。逃げて避ける関係はお互いを背中合わせにする。
親の本意を知らないで来てしまった、取り返しのつかなさがあれだけの
資料となったのではないかと思いました。その後悔の重さが胸を打ちます。