唐組 雑司ヶ谷公演 「西陽荘」

2011 年 10 月 30 日 日曜日

雑司ヶ谷に越してきて12年やっと、唐組公演を拝見させて貰いました。

10月16・17・18日の鬼子母神の例祭「御会式」が終えるとすぐに

赤テント唐組がやってきます。何回か外の道で聞耳を立てたことも

あります。奉納された気が満ち満ちているこのすぐのところにやって

くるのはなるほど納得の公演です。夢の遊眠社以来の演劇ですので

かれこれ25年ぶりです。はじめは言葉と筋立てに気が囚われていた

ので異和感たっぷりでしたが、そのうち役者の肉体と声に注視し始め

るとこちらの心が揺さぶられ始めます。演劇は頭で観るものではない

ですね。震災以来の日本のいろいろを織り交ぜながら、不条理劇が

続きますが確かにこちらに訴えかけてくるのは、元気出せという応援歌

です。寺山修司へのオマージュ「書を捨てよ町へ出でよ」もありました。

出口で送ってくれた役者さんに思わずありがとうと言っておりました。

大山

2011 年 10 月 30 日 日曜日

古い友人夫婦とこの土日、伊勢原の大山の宿坊に泊まりました。

ここは江戸時代に大山参詣が流行し古くから関東一円から参詣客を

集めた聖域。由緒も歴史もありますがあまり一般には知られていない

所のようです。現在も講は続いているのですね。知らなかった。

流れ者は知りえなかったようですが、地元でまたは古い組織に属していた

人たちにはごく普通に続いているモノのようです。

弊社の最寄り駅は、東武東上線大山駅の近くです。

また祀られているのは大山祇大神(オオヤマズミノオオカミ)

なんとなく縁があるようです。

今回は山登りの準備はしていなかったので、頂上の本社に行けなかった

のですが、11月もう一回挑戦してみようと思っています。

なんとなく高尾山より奥が深そうです。

徒歩歩な朝

2011 年 10 月 28 日 金曜日

片道早歩きで45分。随分慣れて歩くことが苦にならなくなってきた

この頃です。同じ道を歩いているといつも同じような同行の輩と同じ時間に

往き合います。ほとんどボーと考え事をするでもなし、目にした諸々に勝手な

解釈を加えたり想像したり創作したりして、歩きを楽しんでおります。

池袋駅を過ぎ、平和通りを歩き通すと川越街道に出ます。

街道沿いに国際興業の路線バスが通っていて、車線変更しながら

ウインカーを出すと「ピヨピヨ」と言いながら近づて来ます。

今朝、バスのピヨピヨに促されて見るともなしにバス停を眺めると

小学1年か2年生の小さな男の子がベンチから立ち上がりバスの

停車を待つところでした。狩猟本能なのか父性本能なのかはぐれて

しまったような雰囲気が漂う子供は、よく目につきます。

あんなに小さくて遠く離れた小学校へ通う事情とは、何だろう?と

考えながら歩くのですが、思考はすぐにまた別のところに移っていきます。

3・4分歩くと次のバス停です。なっなっ、なんと驚くことにさっきの子供が

またベンチに座っているのです。黄色いランドセルカバーも赤と黒の

タータンチェックの上着も同じです。うつむき気味で座っている姿が

同じなのです。いやー、これには吃驚させられました。何かのゆがみで

時間軸が狂い始めたのか、私の頭がおかしくなり始めたのか。

こんな経験は久しくなかったことです。落ち着いて冷静に答えを考えると

結論は一つです。その子は、ひと駅だけですぐに降りてまた次のバスを

待っているだけなのです。

目的とか効率とか実行とか、明確とか達成などの大人の世界に長く

染まってしまうとこんなことでも吃驚します。

あの子は、単純に学校に行きたくないんだな。

ひょっとして徒歩通勤で時間をかけているのは、私もあの子と一緒なのかも

知れないなと考えたりします。あまり大きな声では言えないことですが。

明暗

2011 年 10 月 21 日 金曜日

先週の文春で椎名誠さんの赤マント読んでいたら、室内の写真のフラッシュに

ついてひとくさりありました。ある居酒屋で写真撮影とインタビューを受けた

のだが、カメラマンがやたら大きなフラッシュで延々とバシャバシャ撮っている

ので気が散って落ち着かなかった。最近のデジカメは、あまり光が無くても

それなりに撮れるし、後でいくらでも加工はできるというようなことを述べられて

おりました。椎名さんも写真を撮られるのでしょう。でも印刷屋から言わせると

暗い写真を明るくするのと明るい写真を暗くするのでは、写っている情報の

量が違います。また加工の幅が大きく違います。

今年の4月に岡山県の湯郷温泉の旅館「季譜の里」のパンフレットを製作

いたしました。えー、あの我らが「なでしこ」がキャンプを張った、あの宮間君が

いる湯郷です。先日ご依頼のデザイナー様から、あのパンフレットが「地域発の

デザイン」(ピエブックス)に掲載されましたという知らせがありました。わざ

わざ連絡していただき、それもとても嬉しかったのですが、とにもかくにも大変

苦労した本だったのです。旅館のパンフレットなのですが小説仕立てになって

おりまして、情感を高めるために写真もそれなりに陰影の濃いもので、インク

濃度も350%を超える写真がとても多かったのです。紙がG-プラン。これも

とても乾きの悪い紙です。今年の4月は、節電で谷崎の「陰翳礼讃」などが

改めて評価されるような雰囲気もあり、写真のトーンは濃い目と云うのがちょっと

した流行りでした。5000冊をゴールデンウィークまでにと1週間ぐらい前に

ご入稿いただいたのです。表紙は、雁垂れ表紙です。そしてカバーが付きます。

結局間に合わないのでUVで刷って納めました。

で、半年経って全部捌けてしまいまた5000冊のご注文を頂きました。

今回は、事情をお話して、写真の濃度を300%以下になるよう画像を補正させて

頂きました。写真を触りだして分かったのですが、夕暮れや夜の写真は、ちゃんと

光を当ててしっかり細部を映しこんで、それから雰囲気に合うように暗くしてある

のです。シャドウを明るくしていくと見事に隠れていたものが現れてきます。

全体を綺麗にコマーシャルフォト的に創り込むばかりでなく隠すことによって

奥行きと余韻がにじみ出てくるということもあります。

今回の出来上がった新しいパンフレットを初めこそ満足げに眺めていたのですが、

やはり、暗い方がエッチです。インキの濃度との関連もありましたので、致し方

なしとは云え、やっぱり印刷は難しい。

椎名さんは、荻窪のラーメン屋「丸新」でしょっちゅう見かけていました。

まだ「さらば国分寺書店のおばば」を出したばかりのころ。

「大もり」という低い声がカッコよかったんです。

湯郷温泉は育った兵庫県の相生からすぐのところ。良いところです。

今を食べる

2011 年 10 月 18 日 火曜日

最近私は、いつも腹を空かしています。あまり食べなくなった。

この本は最近凝っている辺見庸さんの代表作「ものを食う人びと」

最貧国や紛争の地に赴き、そこの人たちと一緒に同じものを

食べまくるルポです。8年後のチェルノブイリ、立ち入り禁止の

30キロ圏内に入って違法に住み続けている人達に食事をごちそう

されます。同じくロシアの話。1993年、ロシア太平洋艦隊の

兵隊4人が餓死したという話を調査しに行きます。

分かったのは、配給の食料を将校たちが横流しして売ってしまい

兵隊にモノを食べさせなかったということ。

チェルノブイリから7年、ウクライナの平均寿命は10歳ぐらい下がって

います。人口が5400万人から4700万人に減っている。私はすべて

チェルノブイリのせいだと思っていましたが、強ちそうとも言えない部分も

あるようです。

ここに並んでいるのは、特別な状況の特別な食べ物のように見える。

しかしそれらは、ごく普通に世界のありのままの食生活でもあるのです。

同化するように寄り添い、共感します。同じように胸を痛める姿がとても

切ない。結局私たちは、その時その時を食べるしかないのでしょうか。

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