デザインのひきだし

2011 年 2 月 18 日 金曜日

グラフィック社さんのデザインのひきだし。

特殊印刷、特殊加工、特殊なインキ、用紙。あまり見たことはないけど

へー、こんな印刷もあるんだと云う見本がそのままサンプルになって

本に綴じ込めてあるので、とても参考になります。

だいぶ前より電子ブック、そしてアイパッド、キンドルの出現があり

私自身漠然と本の方向性、または具体的なデザインのかたちは

どのようになって行くのだろうとずっと考えあぐねておりました。

かたや光の中で現れたり消えたり、瞬間移動も思いのまま、何万冊もの

本をいつも持ち歩くことができます。

飽きたら次から次へと読み捨てていくことができます。

でも本を読むことって好きな女の子とデートするようなもので、

話を聴いたり、手を握ったときの温かさや、せっけんやシャンプーの

香りにドキドキするようなものでは無いだろうかと思います。そのような

時間を通して理解を深めていくものだと思います。

そしてそのような確かなカタチを持っているものだけが具体の本として

残って行くのだろうと思っています。

紙にこだわる、形にこだわる、インキにこだわる。

「デザインのひきだし」と云う本のコンセプトも其処だろうなと思います。

前号の「デザインのひきだし」にトランプニスのことが書いてありました。

トランプニスは、トランプの両面に塗布してあるワックス成分を多く含んだ

ニスです。これを施すことで、切ったりカード捌きを良くしたりまたカードの

傷みを少なくして長持ちするようにします。

去年お客様のお問い合わせで「名刺にトランプニスを印刷したいの

だけどできますか?」と云うお電話をいただきました。

その時はどういうものか分からず、材料屋さんに訊いたら市販には

作られておらず特練で作ってもらうことになるとの話。

高くなると云う理由を説明してお断りすることになりました。そして、

最後にどうして名刺にトランプニスをするんですかとお聞きしたところ

「手さばきのよさとツルツル滑る掴みどころの無さがちょっとおもしろいな

と思って・・・・・。」  皆さんそれぞれに色々と意匠を凝らしておられます。

きことわ

2011 年 2 月 16 日 水曜日

懐かしいことばや、綺麗な言い回しがぎっしり詰まった

類い稀な表現力。流石に文学一族の才媛です。

きこととわこ、過去と現在、夢と現が綯い交ぜになった不思議な話。

でもそれが違和感なく一つに納まっているような感じもあるし、

バラけて拡散し続けているような感じもします。

中心を持たないことですべてが一つ。ひとつが全て?

26歳で凄い才能やと思います。でも言葉ひけらかしすぎ。

15歳や8歳の女の子は、蕎麦手繰ったりしないと思います。

今回は、文学のお嬢様と文学の愚連隊、二人でワンセットの

受賞かなと思いました。書店や中づりの二人の写真見てたら

夫婦みたいに見えてくる。 でも西村君が奥さんで朝吹さんが

旦那さん。 西村君寂しそうないい目をしてる。逃げようのない

私小説作家の顔だぁ。

ジュンク堂に並んでた本、4冊全部買っちゃいました。

雪が積もる

2011 年 2 月 15 日 火曜日

昨日は降りしきる雪に積もられながら帰宅。

今晩は積りそうだと期待したけど明けてみるとそれほどでもなく

約5cmぐらい。仕事としては雪が多いと困るのですが未だに

子供子供した気分が抜けきらない、ワザと滑る靴でおっかなびっくり

ヨタヨタと会社に行ってやろうかと企んでしまう。

月曜日の夜の楽しみは、BS放送の吉田類「酒場放浪記」

動物の内臓肉が大好きで、バーベルを持ち上げたりしているのか

やたら肩や腕に筋肉がついているのに俳句の結社を主催している。

箸を持ってテーブルからテーブルへ移動し、人のつまみのお相伴には

預かるのに決してご自身のつまみは差し出さない吉田さん。

我が家では、メッシ以上のアイドルになり始めています。

それがどんどこどんどこ画面がモザイクみたいになって行き、

それはそれで街に大雪が降る楽しみと同じで、あまりにも

人間臭い吉田さんがターミネーターのような世界の人だったのかと

思わず、身を乗り出したけどあっけなく放送は中止。

遥か彼方の衛星から送られてくる放送の弱点が暴きだされた

夜でした。

西村賢太 苦役列車

2011 年 2 月 12 日 土曜日

久しぶりの芥川賞。苦役列車、読了。

中学校で野坂にはまり。最近は、百閒、長吉と読み継いできたので

私小説は、好きな部類です。

この世界は、自慢じゃないが知りすぎるほど知っている私です。

十代に似たようなこともやっていました。しかしながら、今のような

社会状況では、こう云う体験は、決して特殊なものではなく、ただここまで

赤裸々に書かれていること、唯一そのことに及第点が与えられただけ

なのかとも思います。

あまりにも綺麗ごとすぎる言説にうんざりし、そういう風潮に掉さす

異議申し立てのような感じがします.

言葉は常に今現在のありのままを正直に写し取る言葉でなければ意味がない、

嘘くさい綺麗ごとだけでは、通用しない状況になり始めている。

苦役列車とは、そういうことなのかと思います。

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