東北大観光

2011 年 6 月 5 日 日曜日

岩手県大槌町

日薬と云う言葉があります。 不幸があったときにその悲しみを癒すのはただ

毎日毎日の時間が心を静める薬となると云う風に考えていました。

しかし、釜石に入ってあの時ままのがれきの風景を目の当たりにしてみると、

心を鎮めるための日常なんか全然還ってきていないのです。 小さながれき

だらけの海沿いの集落、我が家のものでもないがれき、その跡地に老婆が一人、

立ち尽くしていました。あれからもう三か月になるのに時間は止まったままなの

です。ずっと90日間寂しい背中を向けてあそこに立ち尽くしたまんまなのです。

海沿いの道を走ると、そこここにおられました。日薬と云うのはなんでもない

普通の毎日の暮らしが薬になると云う意味で、時間だけではだめなんだなと

思います。

避難所になっている城山体育館の裏を100メートルぐらい登ると城山城跡が

あります。海沿いでは重機がひたすらがれきを撤去しています。たまたま祭りの

日に合ったようで大きな太鼓の音が聴こえて来ていました。でもその音を聞き

ながらさっき会った避難所の入り口の皆さんの顔に表情が無いのが辛かった。

いま必要なのは、老人の方たちの心のケアと子供たちの遊び道具のようです。

花札と将棋、トランプとウノを持っていったのですが、一気に集まった子供の輪が

中身を見ると風船がしぼむように落胆に変わってしまった。

小蠅や小さな虫がとても多いので虫除けのゲルと云うのかジェルと云うのが

必要だと云う事です。もっと今風の遊び道具を送るねと約束して別れました。

今回の旅は、とにかく東北を見てみようと云う事で始めました。具体的な人に

具体的に何ができるか、何をすべきか。そして自分自身の腹にしっかりとした

決意を持たせるために。

中尊寺 看板ねこ

荒蝦夷、まつろわぬ人々。朝廷に従わずずっと抗い続けた人々。

弥生人と戦い乍、縄文の文化を色濃く残し、隆盛を極めた平泉。

奥州藤原氏の頭目藤原清衡が建立した中尊寺。私は東北が日本の

故郷だと思っています。ユネスコの世界遺産に登録されると云う金色堂を

見学しました。屋根以外を金箔で覆い金銀、螺鈿、蒔絵で飾られた荘厳な

内部はまさに遺産に匹敵する建造物だと思えます。しかし、残念なことが

ひとつあります。金色堂の反対側の屋根を支える軒には、金箔を貼って

いないのです。金色堂はその建物自体をもっと大きな建物の中に収容されて

います。ガラスで仕切ってあるので正面以外からは、その全容は見る事が

出来ませんが、見えないところは、手を抜いているようです。

予算が足りなくなったのか、最初から大した予算を立てていなかったのか。

昭和の大改修で凄く時間を懸けたようですが、こんなうわべだけの繕いで

世界遺産に登録されるはずもない。まつろわぬ人々の象徴に力を注ぐ気が

無いとしても世界遺産に申請しようと云うのなら、本質的な畏敬の念が必要

だと思います。

東北の観光地はどこもガラガラで困っていると考えていましたが、岩手は

そのような事は無かった。ホテル、旅館、どこも満室。20件近く何処か

泊れるところが無いかと電話をかけ続けて、やっと取れた宿は、夏油温泉。

ここは、震災の影響があって最近営業を始めたそうです。そのおかげで、

いつもガラガラだそうです。それで、観光客のあまり来ない東北のホテル、

旅館を満室にしているのが、自衛隊の方々。絶対駄目だとは言いません。

1週間に1日、2日骨休めに泊まるのだったら分かる。でも校庭にきれいに

張られたテントに生活感は皆無です。

避難所の人たちと変わってあげれば良いのに。

会津若松 さざえ堂

螺旋を上がり続けるといつの間にか螺旋が下り始める、天下の奇建築。

サザエ堂。二匹のサザエが一つの殻に同居できる、2軒続きの共同住宅。

江戸中期の仏堂。中の螺旋を上り下りするだけで西国三十三か所の札所を

廻ったことになる簡単便利な巡礼所。

明治政府の廃仏毀釈命令、仏教などと云う南蛮渡来の怪しい信仰などは

だめだ。と云うお達しで、今はただ、珍しいと云うだけの建物になっています。

神仏習合と云うのは、アクセルとブレーキの様に全く逆のモノを一つの教義

として考えると云う甚だ相矛盾する考え方で、どうしても無理があります。

昭和の戦争が終わって、宗教は自由にやって良いと云う事になったけど、

元に戻すと云う動きはほとんどありません。ここ会津若松でこそそのような

試みがあっても良いような気がします。

大内宿

会津若松から30キロほど南下したところにある、江戸時代の面影を残す

宿場町。そばを一本の長い葱で食べるお店が流行って居るようです。

土産物屋さんと蕎麦屋さんと民芸品やさん。古い建物と三種類のお店だけでは、

少し寂しいと思います。本来の生活があっての古民家です。その古い建物に

相応しい昔ながらの生活が町全体の基礎をつくると思います。

生活基盤の芯がしっかり出来てると、新しい血が入って来ると思います。

布を織る人、土を焼く人、いろんな料理を作る人。

若い人が入ってくれば、田んぼも畑も楽になる。

きれいな段々の田んぼがあるのだから、米を作って欲しい。

この素晴らしい藁ぶき屋根と田んぼはセットだと思うのです。

偉そうにゆうても何の事は無いダッシュ村の受け売りです。

今回の旅に付き合ってくれた、よっちん、ゴウシ、かみさん。

あつこさん。なおこさん。カンパありがとう。

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