チュッパ・チャップスの手品
2009 年 12 月 15 日 火曜日左手の手のひらを、平らにしたり窪ませたりすると丸い球は、
転がろうとします。その動作をゆっくりすると少しずつ白い棒は
起き上がってきます。
左手の微妙な動きに気付かれないように、右手を派手に動かしたり
面白おかしく口上をまくしたてます。
2、3回練習すれば、簡単にできます。
忘年会やクリスマスの余興に。
うちの社員は全員知らなくて、一瞬で尊敬のまなざしに変わりました。
尊敬のまなざし、とても良いものです。
左手の手のひらを、平らにしたり窪ませたりすると丸い球は、
転がろうとします。その動作をゆっくりすると少しずつ白い棒は
起き上がってきます。
左手の微妙な動きに気付かれないように、右手を派手に動かしたり
面白おかしく口上をまくしたてます。
2、3回練習すれば、簡単にできます。
忘年会やクリスマスの余興に。
うちの社員は全員知らなくて、一瞬で尊敬のまなざしに変わりました。
尊敬のまなざし、とても良いものです。
我が家の空中庭園。
庭先に入ってきた闖入者。
生け花にとどまらず、鉢植えまで買うようになってしまった。
でもこのシクラメンは、ちょっとわけありで。
冬、急に気温が下がって底冷えするような寒い朝は、いつも湿度計を
のぞいて目盛りを確認するのが習慣になっています。湿度が低いと
乾燥して静電気が発生し、紙と紙とがひっついてしまいうまく印刷機を
通ってくれません。先月の初めに工場に取り付けた加湿機がやっと
フル稼働し始めました。設定湿度は50%~55%。バンバン、ミスト
シャワーを放出して、工場全体を加湿してくれています。
心配の種がひとつ解消です。
「心配」 5年前、父が亡くなる四日前の日曜日の夜のこと。
大腸癌に侵され日に日に衰弱していく父の様子が気になり、東京に
戻らなければならないのに帰るに帰れない。もう夕方から2時間近くも
しゃべり続けている。生について死について人生について、語らずには
居れないと云うように。時計に目をやると最終電車が迫っていました。
「もう行きなさい。明日も仕事だろう。」と云うとバタンとベットに倒れこんだ。
「そんな死にそうな顔して心配で帰れるわけないだろう!」と云うとやおら
目を剥いて怒り出しました。
「心配。 お前はいい年をしてまだそんな事を言っておるのか。
心配なんかしてもどうにもならない。物事は、よーく熟慮、研究して
具体的に行動することだけだ。」 これが父の最期の遺言。
座右の銘にしているつもりなんですけど、心配性の気質はなかなか
抜けない私です。
土日と義父の一周忌で帰省。身支度をしていたらテーブルの上に
妻が買ったらしきこの本があったので電車の中で読んで見ました。
向田さんの作品は、初めてでしたが滅法面白く1ページで夢中に
なってしまいました。家族の話です。明るく屈託がないけど凛とした
厳しさが一本通っている。情景が浮かぶような筆遣いだし展開が
なんとも鮮やかです。でも一番惹かれるのは、登場人物の面々が
なんだか懐かしい。向田さん家は、上流家庭の部類に入るでしょう。
うちは事業に失敗した貧乏家族のジタバタなんですけど、被るキャラが
多いいのです。同じような暴力的なワンマン親父とビクビクしながらも
冗談ばかり言っていた女・子どもたち。当時は、軍隊の栄光をずっと
引きずりながら貧乏なのにプライドばかり高くて威張っている父が
厭で厭でしょうがなかったけど、それもいなくなってしまえば、あの時の
ジタバタが今の私には、とても大切な宝物に思えてしまいます。
今年も隣のお寺からお粥を頂きました。皆で少しずついただきます。
静かな昼下がりの時間には声明がかすかに漏れ聞こえてきます。
声明とは仏典に節をつけた宗教音楽のようなもの。
昔はお寺などからよく聞こえることがあったし、うちのばあちゃんも
唱えていたので懐かしく聞いています。
3年前、隣のお寺の落成式で、招かれて式典に参加させて
いただいた折、般若心経に節をつけた声明を唱えさせていただきました。
皆さん大きな声で唱えられてゴスペルのような恍惚感が生まれます。