海からの富士山
2024 年 2 月 7 日フェリーで静岡沖を通過したらはるか先に富士山が居った。
地上で観る富士山より高い位置に在った。広重の絵はあながち、
嘘では無いなと思いました。
フェリーで静岡沖を通過したらはるか先に富士山が居った。
地上で観る富士山より高い位置に在った。広重の絵はあながち、
嘘では無いなと思いました。
今回のデザインのひきだしは、「作品としての印刷を極める」表紙は大和
板紙さんのカッパーレッドに青金箔とパール箔の全面押し。顔料箔と云う
事ですが、渋くてかっこいいです。今回もイニュニックは参加させて頂き
ました。モンテシオンにUV印刷で鮮やかに刷る。下はサンプルページ。
OKアドニスラフやフロンティタフ、モンテシオン、タブロ、ペガサスバル
キー8等、中質系の紙に鮮やかに印刷すると云うのはずっと得意として
おりました。乾きの悪いラフ書籍は油性でしたらどうしても濃い目に刷る
事が出来ないので浅い印刷になります。しかしそこは、イニュニックさん
採算度外視で超盛盛で刷ります。テクニック的にはさほど難しい技術を
要する話ではありません。今回のご参加のお歴々は、技術と云い、知識
と云いうちなんかより遥かに難しいことをやっておいでです。
イニュニックは、印刷のより特殊な効果に行くと云う事より全体の紙加
工の面白さに舵を切り始めていて、編集部の方々もその辺りも汲んでく
れていて、本の形に拘る姿も記事にしてくれています。
独バイエル株急落-モンサントの除草剤訴訟で3400億円支払い命令
(ブルームバーグ): ドイツのコングロマリット、バイエルの株価が
29日のフランクフルト市場で急落した。米モンサント部門の除草剤
「ラウンドアップ」の使用でがんになったとして訴えた元顧客に約23
億ドル(約3400億円)を支払うようバイエル側に命じる判断が米国の
裁判所で下された。フィラデルフィア州の裁判所で陪審は、ラウンド
アップを巡り5年前から起きている訴訟でこれまでで最大の支払いを
命じる評決を下した。 株は一時5%余り下落。バイエルが2018年に
モンサントを買収して以来、70%近く下げている。
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かみさんの実家は無人で誰も住まない。もう15年位になる。しかし
子供や孫たちの力で現状維持の努力が行われている。兵庫県佐用の
長閑な場所なので別荘代わりと云うか、皆の心の故郷になっているの
かも知れない。我々も夏に帰った時は、草刈りや墓掃除に忙殺されて
いる。特に墓の草が厄介で手で一つ一つ抜かなければいけない。ある時
ラウンドアップ使うたらどう?と提案したら烈火のごとく怒りだして
「何言ってんの!枯葉剤じゃないの!」「でも、死んでもとおのに」
「私たちには、生きてんの!」それで手で抜き続けている訳です。
日本では、農家さんも良く使っておいでですが、ラウンドアップは
危ないです。
昨日久しぶりに映画を観てきました。(1年ぶりぐらい)ストレンジャー、
面白いものを結構やっているよと云う話は聞いていました。去年のアート
ブックフェアーでも何かコラボしていたようでした。一昨年の2月から「ス
トレンジャーマガジン」も刷っていたのですが、まさかここの本とは知り
ませんでした。私が映画好きで感想書いたりしているからなのか、映画関
係の印刷物は、凄く多いです。先週、「映画パンフは宇宙だ」の新しいも
のも納めた筈です。で昨日、やっと時間取っていけたのです。観に行った
のは「福田村」そしたら間抜けなことに日にちを間違えていたのです。
福田村は今日からでした。ロビーでストレンジャーマガジンが並んでいる
のを見て「イアヤハヤ、なんてこった!」お得意さんじゃないか?と。
で10分後に始まる「共想」を観たのです。40分もかけて来たんですから。
そんな動機で観た「共想」が驚きのモノだったのです。幼馴染、女性二人
の互いに思い合う話を軸に東日本大震災について考える、人と人が互いに
思い合うと云う事を究めて抽象的に表現した実験劇的な・・・・・。少し
寝ましたけどね。遠い街の光の詩のところで、昔読んだ「尾崎放哉」の京
都の街の灯りを思い出していました。自我を捨てるために京都の町中で
「便所掃除させてください」と一日奉仕して夜、丘の上の「一灯園」に帰
るとき振り向いて見た京都の街の灯り。胸を締め付けられるような人々の
暮らしがそこに在った。我に囚われすぎると周りが見えなくなる。自分が
小さくなりすぎると全体が幅を利かせていく。共想と云う言葉には程よい
自分の大きさが大切だ。後半グーンと良くなって、特に特養の先生に目を
引き付けられて、良い演技だなと思っていたら最後のクレジットで「柗下
仁美」と名前が出てきて、「アッこの人、妹さんだ。」と気づいたのです。
今から7年前に創った写真集「数日間のダイアリー」にも写っていた。
写真家の柗下知之さんのお母さんの最後の数日を写した写真集。この映画
の2年前の写真集に写っている仁美さんは、微笑んでいるのに苦悩の濃い顔
で写っている。でも2年後の映画では、穏やかな顔になっていた。綺麗にさ
っぱりした笑顔だった。人の顔と云うのは恐ろしい。
小津の映画を見ているといつもイヤーな気持ちになっていました。
どうしてだろう?とずっと不思議でした。固定されたカメラの撮影位置
は、兵隊の視座、会話の復唱は、命令下達の兵隊の復唱。全体に流れる
のは、やり遂げた事への静かな郷愁、諦念、哀惜。この感じは私の父も
持っていた。この立ち位置がずっと私は嫌だった。「命令を遂行しただ
け」で逃げ果せるほどそんな軽い行為ではない。作者の田中真澄さんも
南京の近くにいたけど小津は係わっていないと弁護じみたことを言って
いるけど、上海から南京そして重慶へどの様な事が行われたか、亡くな
る2週間前の父からも訊いている。外地から兵隊として帰ってきた人達
がみんな持っていた諦念。殆ど人たちは、悲しそうな眼をして下を向い
ていた。小津だけがあのように描いた。それが許せないのかも知れない。
軍国主義国家の人々からの称賛は、とても良く解ります。去年の年末に
平山さんの「小津安二郎」の記事を読んでどうしようかな?と迷ったけ
「小津安二郎と戦争」の方を買って読んでいました。父の世代が残した
心の澱からずっと逃げられないでいる。