勝利

2011 年 1 月 30 日

サッカーアジアカップ優勝。

MVPは、監督のザッケローニだと思います。

選手に自信を持たせて、生き生きとプレイさせたのはやはり監督の仕事。

私も見習わなければ。旗振ってあっちだあーというのもすぐ限界が来ます。

日本VS韓国

2011 年 1 月 25 日

アジアカップ、日本対韓国。前半終了。1対1。

日本は強い。負けていない。勝っているように思います。

まだ試合終わっていないけど、私は前半の試合ぶりだけで満足。

ほんとに強くなっている、みんな自信に満ち溢れている

初めて、今までで初めて、日本代表を頼もしいと思っています。

こんな試合してくれるだけで満足です。

気になる言葉

2011 年 1 月 24 日

若い時分は、意気地無しとか駄目な奴などと云う

言葉がとてもよく喉元に刺り、うじうじ頭の中で反芻しながらため息を

吐くことが多かったけど、さすがに年をとるとそう云う抜き差しならない

関係そのものが希薄になって来ており、もう少し違う言葉に反応する

ようになってきます。

去年の暮れには新聞で「食と云う暴力」という言葉を見つけてあれこれ

考えておりました。日々の食生活と云うのはとても厄介でありまた不穏

なものです。10時間おきに、早ければ6時間おきぐらいに切羽詰った状態に

我々を陥れます。とくにかくにも定期的に何らかのものを入れ続けないと

どうにもこうにものっぴきならないことになってしまう。あたり前過ぎる話では

ありますが、改めて食と云う暴力なんて他人事のように言われると、それは

それで何か恐ろしいことのように思ってしまいます。

宮沢賢治の「雨にもマケズ」のなかのキモとなる言葉は、一見 「デクノボー」

のように思われますが、実は「玄米四合」なのではないかと思います。

みんなが玄米四合食べれたらいろんな問題、すべて解決します。

この玄米四合の解釈がとても難しい。

今年になって読み始めた茨木のり子さんの詩集の中に人間の定義として

「境をひくもの」と云う言葉がありました。古い経文の中にある言葉だそうです。

今は、これをうじうじ考えています。境をひくと云うのは自分と他人を分けたり

国と国を分けたり、人生の節目節目を分けたり、自分の状況でさえ幸せと

不幸せに分けてしまう。ほんとにそう云われてみたら、線ばかり引くのが

人間だと思えます。だからこそ境を越えていこうと云う姿やものはとてつもなく

かっこいいです。

昨日、県対抗の駅伝大会をテレビでやっていました。

選手はそれぞれ、自分の能力の境を探りながらその線を越えようと頑張ります。

能力の範囲内で終わった場合でしたら、良く頑張ったねでおしまいですが

限界を越えようと云う姿は、やはり胸を打つものがあります。

みんなそれぞれにかっこいい。

ところで今回、テレビで駅伝を見てて思ったのですが、

最後のアンカーの人が襷を肩から外して手に握ってゴールしてくたら、私たちも

その襷を受け取ることができるのに。

どの襷でもいい、好きな襷を受け取って、ちょっと頑張ってみるかなと

勝手に最終アンカーになってみるのもいいと思うのです。

それも境を越えると云う事だろうと思うのですが。

世田谷 ボロ市

2011 年 1 月 17 日

骨董やアンティークものは大好きです。

かみさんのおやじさんが花嫁道具を買えと云ってくれた

大金は、救世軍バザーの放出品で済ませて後は酒代に

消えてしまったぐらい、アンティーク好きです。もとい酒好きです。

今回ボロイチは、初めてです。

ヒトヒトヒトです。ひとの川です。立ち止まれない。ただただ流されて

行きます。きりがないので途中でUターンしてまた流されて流されて

元の位置に。

革の端切れと九州の大川家具だと云い張る小さな飾棚を購入。

インドネシア製でなければ付けられないような金額だったので

丁寧な仕事ですねと言いながら、インドネシア製の値段で購入。

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