渋谷 ハチ公前

2013 年 7 月 20 日

渋谷ハチ公前が熱いことになってるというので夕方行ってきました。

若い人ばっかり。選挙フェスティバルというのでしょうか?

交代で順番に立会演説をやっているそうです。私が行ったときは

ジャズやってました。若い人無関心ということ全然ない。とにかく

無茶苦茶人が集まっていて、明日は何が起こるか分からない状況に

なってます。

キャパの十字架

2013 年 7 月 18 日

キャパを一躍有名にした写真「崩れ落ちる戦場の兵士」

という写真があります。まさに撃たれた瞬間を捉えた

写真です。これは作為のインチキだという証明を延々と

云うてる内容です。この最初の嘘によりキャパは、より

戦火の激しい戦場に行かざる得なくなり、最終的に

戦場で死ぬことになる。その最初の嘘がキャパが

背負うことになった十字架だという内容です。これは半分

ぐらい読んでやめた本。沢木さんの思い入れがある人だった

かも知れませんが、私は沢木さんのこういう話は嫌いです。

前進であり、上昇であり、肯定である話が好きなのです。

いじめ

2013 年 7 月 17 日

いじめは、醜い。汚い。おぞましい。こんな醜いものを

放置し続ける共同体とは・・・・・・・。

いじめとは加害行為であり、被害者が主役ではありません。

いつも死ぬ子供が出たら、その子がどんなことをされていたか、

どんなシグナルを出していたかとか、そんな事ばかり言い募る。

主人公はいじめていた子なのだから、どのようにいじめていたか、

どのようなストレスを受けていたから弱い子をいじめるようになった

のかを論議してあげないと、いじめはいつまでたっても無くならない

のではないでしょうか?

いじめはストレスに対する防衛本能。それが軽微であるがゆえに

攻撃性も緩慢でありストレスを発散できるほどのカタルシスを

伴わないから執拗に続くのだと思います。しかし、これが集団に

なると恐ろしい状況になる。集団というのは歯止めが利かない。

多数決というのは、その枠内においての善になるので、みんなで

いじめながら罪悪感が無くなっていくのではないかと思います。

その構造をなくす方向に行くのか、教育システムとして同調圧力を

掛ける装置として利用し続けるのか、根本的に問い直さなければ

いけない状況にあると思います。夏休み前なのにこのような状況は、

戦前回帰のムードの先走りが現われ始めているのだとしたら、恐ろ

しいですね。子供たちは敏感に時代の空気を感じ取ります。

夏風邪

2013 年 7 月 16 日

昨日の夜は窓全開で寒かったのですが、久し振りの寒さだったので

タオルケットにくるまって我慢していたら、今日は少し風邪気味です。

海の日

2013 年 7 月 15 日

オリーブの木をもう一本買ってきて、二つ並べると実がなりました。

山椒の木にはアゲハ蝶と雀が相変わらず交互にやってきて

生存の攻防が繰り広げられています。3匹のアゲハの幼虫を

確認。まだ3mmぐらいの大きさで雀は確認だけで大きくなるのを

待っているのか、まだ見つけ出せないのか?そこは分からない。

どこかの段階でネットを被せなければと考えています。

今年初の「冷やし汁」  もうかれこれ25年ぐらい前のこと。

山形の金山のバイクレースに出場した際、食した「ウサギ飯」

これは白いご飯に冷たい水をかけただけの物、おかずはきゅうりの

一本付けのみ。林業の盛んな土地の郷土食。おもに樵の方々の

昼食だそうです。水をかけるだけというのがとてもあっさりしていて、

汗だらけのレース中の食事というのに割とあっていて意外に美味しい

ものでした。夏の山仕事は水分補給が欠かせないのですが、暑さと

疲れであまり食欲もわかない時にぴったりの食事で、これにワサビの

葉っぱでもあれば申し分ない一品になるとのことでした。

しかし25年のというのはすごい時間の流れなのですね。

今、「ウサギ飯」と検索したら出てこないのです。もう金山でも食されて

いないのでしょうか?今の日本で、白い冷たいご飯に冷たい水をかけた

だけの物を出されたら、ほとんどの人が、これは料理では無いと思う

のでしょう。でも、状況によってはドンピシャとはまります。たとえば、

白馬岳で朝の5時から登り始めて大雪渓を登り切り、その上のお花畑で

食べる塩むすびは、涙が出るほど美味いのです。美味い、まずいは

足し算のみにあるのではなく、引き算にもあると思います。

うちの冷やし汁は、水と味噌とゴマと大葉だけです。

起きぬけの夏バテの倦んだ体でさらさらと食べることができます。

二人分でゴマは大匙3杯ぐらい。大葉は約10枚。

ちょっと入れすぎでしょうか?

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